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野球の本質を語ったガーナの少年 日本人にも衝撃を与えた、アフリカ27年間の普及活動

ベンチから声を枯らし、野球に打ち込むアフリカ人たち【写真:J-ABS提供】
ベンチから声を枯らし、野球に打ち込むアフリカ人たち【写真:J-ABS提供】

野球の本質が詰まっていた少年の言葉「打撃は苦手。でもね…」

 友成さんは日本での指導経験はなかったが、1997年にガーナ代表の監督に就任。選手たちは「五輪を目指したい」と口を揃える。2000年シドニー五輪を目標に、特訓が始まった。

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 アフリカでは当時から米国の3Aに選手を輩出していた南アフリカを筆頭に、ナイジェリアでも野球が親しまれていた。「米国との結びつきが強いので、おそらく米国人が普及させたのだと思います」と友成さん。シドニー五輪予選は南アフリカ、ナイジェリア、ジンバブエ、ウガンダ、レソトとともに6か国が出場。ガーナは準決勝まで進んだ。

 ガーナ人は体格がよく、運動能力も高い。「野球を始めて2、3年でも、私の大学時代のチームでレギュラーを取れるんじゃないか」と思えるほどポテンシャルは素晴らしかった。しかし、このままでは世界大会に出られるレベルになれない。30人の競技人口を1万人に増やすことを目指し、普及活動に力を入れた。

 代表メンバーだった教え子たちを、コーチとして首都・アクラ市内の学校に派遣。それぞれが友成さんに教わったキャッチボールの仕方、挨拶まで巡回指導した。地道ではあるが、着実にのめり込む子どもたち。徐々に野球をやる子どもたちが増えていった。

 帰国を控えた1999年10月、ガーナ初の少年野球大会が開催された。だだっ広い場所に日本の寄付金で建てたバックネットもある。最初は30人しかいなかったガーナの野球人口が、小学生、中学生それぞれ6チームずつになった。「ここまで来たか。3年間やりきったな」。観客を含め、500人が野球に熱中した。

 アフリカの日差しを受け、より一層輝きを増す子どもたちの笑顔。友成さんも満足気に眺めていると、一人の少年が「野球が大好きなんだ」と話しかけてきた。「僕はバッターボックスが好き」。友成さんは打撃が得意なのかと思ったが、少年は「ううん。なかなかバットに当たらない」と首を振る。

 少年の言葉に野球の本質が詰まっていた。

「バッティングは苦手。でもね、バッターボックスに立つと、味方のみんなが自分だけを応援してくれるんだ。僕は下手だけど、振ったら当たるかもしれない。だから、敵のみんなが僕に注目する。ヒーローになれるチャンスがバッターボックスなんだ。みんな平等に順番が回ってくるでしょ。ベースボールはデモクラティックさ! これが、野球が好きな理由なんだ!」

 友成さんは嬉しそうに語る彼の表情が忘れられない。

「12歳くらいの子です。凄い衝撃でした。『民主的だから野球が好き』という言葉。当時の僕は野球を始めて25年でしたが、初めて聞いた言葉でした。確かに、ガーナは貧困が蔓延していました。お金持ちの子は病院にも、学校にも行けるけど、貧乏な子は薬すら買ってもらえない。小学校を出たら働かなきゃいけません。だから、治る病気も治らずに死んでしまう人がたくさんいました。

 でも、野球というスポーツはお金持ちだろうが、貧乏だろうが、みんな平等にチャンスが回ってくる。一人ひとりが応援される。少年たちはここに新鮮さと喜びを感じていたんです。道具がないとできないので大変ですが、野球というスポーツこそ厳しい環境に生きる子どもたちにやってほしいと初めて思えたのです。アフリカの子どもたちに野球を広めていこうという想いが自分の中で湧き上がりました」

 直接的に全ての問題が解決するわけではない。でも、野球に打ち込むことで笑顔が広がるのは間違いなかった。

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