村田諒太の「リアル」な生き方 亡き友に“捧がない”初防衛「安らかに。それだけ」
「悲しみに暮れる人は自分のことしか考えていない」
弱さをさらけ出せる強さを持ち、人間臭さが周囲に好かれる。デイとともに汗を流し「ボクシングへの真摯な取り組み」に刺激を受けることはあったが、死を受け止めて祈るだけ。必要以上に反応することはしなかった。
「『お前の分まで……パートナーをやってくれたからな。ありがとう。その分、頑張るよ』とか、これはないです。ただ、本当に旅立ちが安らかに。そこで僕が心象的になって『ああやってくれたパートナーが……』『ボクシングってどうなんだろう』ってへこんでいくと、またそれって意味がないことですよね。
悲しみに暮れるって、相手を思っていることじゃない。自分に対してのことであって、女々しいという言葉は悪いかもしれないけど、悲しんで泣き叫ぶようなね。ああいうことをする人って、自分のことしか考えてないからそういうことをするのであって、相手のことを思うのであれば『安らかであってほしい』。それだけだと思う。僕が逆の立場だとして、死んで誰かが悲しんでもう動けない、なんていうことは望んでいない。
相手のことを思えば、もう感情はいらないと思う。『旅立ちが安らかであれ』と。変に感情的にならない。それだけですね。もちろん、生きてるということに対して感謝を忘れてはいけないですし、その分頑張ろうと思えます。でも、それだけの話。それと、(デイには)あの世でドラゴンボールでも見てくれればいいなって思うだけの話ですね」
日本通だったデイの帝拳ジムに通う際の格好は、オレンジ色をした孫悟空の道着だった。訃報から1か月。練習を終えると、村田はにこやかに写真撮影。新しく来日した選手を含め、今回のパートナーたちと肩を組んで納まった。「感情はいらない」と言いつつも、胸に去来する思いは確かにある。
「ただね、今日みたいにあんな写真を撮る時は切なくなりますよね。ここにいたのになって思いますよ。でも、浸っている時間はないですから。あと1か月、頑張るしかない」
決して友に捧げるわけではない。悲しみに暮れることも、思い出に浸ることもない。ただ、できることだけに一生懸命。ありのままを貫き、集中し、ベルトを守り抜いた。