服部勇馬が大迫傑との5秒差を生んだ理由 五輪切符の裏でやり続けた「嫌なこと」
4月に急性虫垂炎も成長のバネに「失敗が自分を強くしてくれた」
マラソンは大学4年時の16年2月東京マラソンが初めて。「東京五輪を目指してマラソンを始めた」。35キロ過ぎに日本人トップに躍り出たが、40キロ付近で失速した。日本人4位の12位。リオ五輪には届かなかった。それでも目標がブレることはなく、マラソン4戦目となった昨年12月の福岡国際で日本歴代8位の2時間7分27秒をマーク。同大会14年ぶりの日本人Vという貫録の走りでMGC出場を決めた。
2人の弟と妹を持つ4人兄妹の長男。10歳年下の妹・葉月さんからもらったお守りを付けて挑んだ。中には祖父母の写真を忍ばせた。「中村さんが仕掛けた時に、その思いで走れたと思う」。汗のにじんだパワーの源。最後の坂で勇気をくれた。
4月には急性虫垂炎を患い、調整に狂いが生じた。でも、それが成長のバネとなった。「思い通りに走れず、つらい思いもした。失敗が自分を本当に強くしてくれたと思っています」。次に見据えるのは11か月後、さらに暑さが見込まれる夢舞台。「東京五輪のメダルは簡単じゃない。これまで以上の努力をして取り組んでいきたい」。人生山あり谷あり。服部はどんな谷にいたとしても、快調に上っていきそうだ。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)