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野球は300、ラグビーはわずか4… 28年前の“英雄”吉田義人が募らせるW杯後の危機感

進化の最大の要因はプロ化「選手の価値観の変化が、後押ししている」

 吉田氏が出場した1991年大会で日本代表は初勝利をマークしたが、2勝目を挙げたのは2015年大会の南アフリカ戦。かくも長き“沈黙”を打ち破り、大会3勝と躍進を見せた日本代表の進化の要因を、吉田氏は迷わずプロ化と指摘した。

「今はプロが当たり前になっている。その基準で日本代表が作られているのです。今の日本代表の選手たちは、みんなプロです。もちろん所属チームでは、プロもいれば社員選手もいるけど、日本協会とはプロ契約している。その環境を手に入れたことが、僕らの時代との最大の違いです。

 当時の強豪チームの選手は、日本代表の合宿に参加するよりも所属チームで練習、試合をするほうが大事だと考えていた。僕は代表に選ばれると、喜んで合宿に参加していたので驚いたけれど、それはアマチュアの時代だったからです。でも、今の選手たちは代表が勝たなければ日本ラグビーの将来はないという気持ちで取り組んでいます。そんな環境であり、選手の価値観の変化が、日本代表の進化を後押ししています」

 95年大会を契機に容認されたプロ化を多くの強豪国が受け入れ、強化を加速させる中で、アマチュアリズムを重視した日本の強化は進まなかった。国内ラグビーはいまだに企業スポーツという形態のままだが、00年にフランスの古豪コロミエとプロ契約を結んだパイオニアでもある吉田氏にとっては、ようやく代表チームがプロとしての環境で強化ができる時代を迎えたことに特別な感慨がある。

 現役引退後は、母校・明大の監督などを経て7人制男子チーム・サムライセブンを立ち上げ、16年には「日本スポーツ教育アカデミー」を設立。ジュニア世代へのラグビーの指導に加えて、高齢者の健康管理などにも力を注いでいくという。スポーツの持つ価値や意義を追求する吉田氏だが、その源泉は修士課程を修了した筑波大大学院で学んだことだった。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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