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カギを握るのは「日本人選手」 “元祖留学生”ラトゥ志南利のこだわりと理想

95年のW杯アイルランド戦では敗戦チームから異例の最優秀選手に

 歴代日本代表の中でも、トライの危機を救う強烈なハードタックルや、強豪国相手でも負けないパワーで、常に日本代表を体を張って牽引してきた。「歴代最強のNO8」の呼び名もあるが、そのラトゥ氏が、あまたの国際試合でいまも最高の思い出と語るのが、95年ワールドカップのアイルランド代表戦だ。

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 日本代表にとっては大会2試合目。プール戦の組み合わせから、初戦のウェールズ、そして、このアイルランドを倒して決勝トーナメント進出というシナリオを描いていた。だが、ウェールズには10-57と完敗。ここで勝てなければ、プール戦突破の夢が絶たれるという正念場だった。

「結局試合は28-50で負けたんですけど、チームとしてもいい試合だったし、僕はマン・オブ・ザ・マッチ(MOM=試合の最優秀選手)に選ばれた。ワールドカップで負けたチームからは初めてだと聞かされたので、すごく嬉しかった。この試合では、トライもしたし(トライの)アシストもした。タックルもすごくよかった」

 実は、この大会を最後に日本代表を引退することを心に決めていた。“引退試合”を先送りにするためには、アイルランドに勝つことが最低条件だったことも、ラトゥ氏の闘争心を燃え上がらせ、異例の敗戦チームからの選出という結果につなげた。

 実はMOMには、メダルや盾のような記念品はない。ラトゥ氏が受け取ったのは高級なワインひと箱だった。

「本当はボトルだけでも持ち帰れば(MOMを受賞した)いい記念品になったけど、試合からホテルに帰るチームバスの中で、チームのみんなで飲んじゃいました。ホテルに着いたときには、もう全部空っぽだった。(ボトルも)そのまま置きっぱなしでしたね」

 賞品はアルコールとともに消えてしまったが、ラトゥ氏がアイルランド戦、そしてワールドカップで得た自信と誇りが消えることはない。

 日本最強のNO8が、MOMに輝いた大会から24年の歳月が流れた。日本代表が目指す8強入りのためには、多くの選手がMOMに選ばれる活躍が欠かせない。ワールドカップ開幕が目前に近づく中で、桜のジャージーの後輩たちがラトゥ氏と同じ“美酒”を味わえるときを心待ちにしている。

ラトゥ志南利(らとぅ・しなり)
1965年8月25日、トンガ王国生まれ。同国から日本の大東大に留学し、NO8、FLとして活躍。2度の大学選手権優勝に貢献。同大在学中に日本代表入りし第1回から3大会連続でワールドカップに出場。通算32キャップ。三洋電機ラグビーで活躍後の02年に母校・大東大監督に就任(08年退任)。13年から同大学アドバイザー。11年に国籍をトンガから日本に変更して改名。長男・クルーガーも大東大でプレーして、現在パナソニック(前三洋電機)所属。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)


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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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