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「アホか!」とぼろくそに怒られた 平尾誠二の「熱くて、泥臭い」華麗じゃない素顔

第6回の今回は、2016年に53歳の若さで亡くなった“ミスター・ラグビー”平尾誠二氏にスポットを当てる。神戸製鋼、日本代表で共にピッチに立ち、その後は選手―指導者として、故人を最も近い位置で見続けてきた元木由記雄・京産大ヘッドコーチが、その偉大さ、素顔を回想する。

“ミスター・ラグビー”こと平尾誠二氏【写真:Getty Images】
“ミスター・ラグビー”こと平尾誠二氏【写真:Getty Images】

ラグビーW杯開幕まで65日、連載「楕円の軌跡―レジェンド・トーク2019」第6回は日本でのW杯を前にこの世を去った“ミスター・ラグビー”平尾誠二氏

 9月20日に開幕するワールドカップ日本大会まで、あと2か月あまり。サンケイスポーツで20年以上にわたり楕円球を追い続けたラグビー・ライター吉田宏氏が、日本ラグビーを牽引し続けてきたレジェンドたちの、日本代表、ワールドカップ成功への熱い思い、提言を綴る毎週水曜日の連載「楕円の軌跡―レジェンド・トーク2019」。

 第6回の今回は、2016年に53歳の若さで亡くなった“ミスター・ラグビー”平尾誠二氏にスポットを当てる。神戸製鋼、日本代表で共にピッチに立ち、その後は選手―指導者として、故人を最も近い位置で見続けてきた元木由記雄・京産大ヘッドコーチが、その偉大さ、素顔を回想する。

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 ワールドカップ日本大会へのカウントダウンが進む中で、多くのラグビー関係者が、その開幕を見ることなく急逝したことを惜しむ男がいる。

平尾 誠二

 卓越したゲームメークでプレーヤーとして、そして主将として伏見工高を花園初優勝、同志社大では大学選手権3連覇、そして神戸製鋼を日本選手権、全国社会人大会7連覇に導いた。現役引退後は指導者として神戸製鋼、日本代表でも手腕を振るったミスター・ラグビーは、2016年10月に胆管細胞癌のため世を去った。女性誌でグラビアになるほどの人気を誇る一方で、日本ラグビー界を見渡す独自のビジョンも兼ね備え、日本ラグビーを背負っていく人材と期待された男は、ワールドカップを待たずに人生のノーサイドを迎えた。平尾氏の故郷でもある京都の賑わいから離れた、上賀茂に拠点を置く京産大ラグビー部のクラブハウスで、元木氏が先輩であり上司でもあった故人について、思いをはせた。

「もちろん平尾さんのことは中学、高校時代から知っていました。でも本格的に交流を持てたのは、僕が19歳で日本代表入りしたときのアメリカ、カナダ遠征だった。確か初戦で平尾さんが目の上を切って退場されて僕が代わりに出場したんです」

 テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった伏見工高時代から天才と呼ばれてきた平尾氏だが、元木氏も大阪工大高2、3年と高校日本代表に選ばれた逸材。それでも、当時すでに最強軍団・神戸製鋼のスーパースターだった平尾氏は、遥か彼方の存在だった。

「遠征中も、そんなに親しくしゃべるような関係じゃなかった。『思い切ってやれ』とか声をかけていただいたと思いますが、(技術を)教えてくれるというのとは違ってましたね。近くで見て盗むという感じでした」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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