ラグビー界に告ぐ、五郎丸歩のメッセージ W杯の“その先”に未来を描いているか
ラグビー歴30年、“次の30年”に託す思い「企業スポーツの壁をなくさないと」
終始、熱い口調でラグビー界の発展に対するアイデアを明かした五郎丸。ただ、現在は自身も第一線を走り続ける立場にある。普及に尽力するのは現役生活を終えてからでも遅くない。そんな疑問を言うと、一笑に付した。「ラグビーW杯が来て、五輪・パラリンピックが来て、ワールドマスターズが来る。これだけ大きな世界のイベントが日本にある時、現役のあるなしに関係なく、スポーツを愛する者として、アクションを動かさない方が逆に不思議」という思いが自身を突き動かしているという。
実際にユニークな取り組みもしている。今年4月、柔道男子日本代表監督の井上康生氏らと協力し、ラグビーと柔道という異なる2つの競技を体験するスポーツ合宿を行った。小学4~6年生までの児童100人が1泊2日で共同生活するという取り組み。「これが面白いんですよ」と笑い、嬉しそうに振り返る。
「柔道は個人競技。柔道をしている子は団体競技のチームワークに触れたことがない。ラグビーは団体競技。だから、ラグビーをしている子は個人競技の心の強さを知ることができない。そういう中で、競技能力と同じくらい礼儀を求められる武道である柔道から学び、周囲とパスをつないで協力して達成するラグビーから学ぶことが双方にとってある。その掛け合わせによって、面白いものができた。
なおかつ、1日で来て帰るだけじゃなく1泊することが子どもにとって大きな経験になる。沖縄から青森、いろんな地域から来た。僕らの幼少期を振り返ると隣の町、県のレベルでもう文化が違うことがある。それが全国区になることで、もっと大きなインパクトがある。僕らの時代にはなかったグローバル化がどんどん進む中、より多くの多様性を認められる環境を提供していかなくてはいけない」
すべてはラグビー界のため――。当然、その思いは未来につながっていく。自身は3歳で始めたラグビー。あれから30年が経ち、33歳になった。では、今回のW杯で興味を持ち、同じように3歳で始めた子どもが33歳になる頃、どんなラグビー界であることを願うのか。次の30年に向けた思いを聞いた。
「現在は企業スポーツで、企業名がネーミングに入っている。第三者としては入りにくい、壁を感じる大きな存在。Jリーグも然り、野球も然り、地域に根付いた名前を付けていく。企業スポーツも悪いことではないし、良いこともある。ただ、これをクリアしない限り、いつまでも企業スポーツのまま。どこかのチームが踏み込んで、企業名を全くなくして地域に根付いた形をとっていかないと。30年より、もっと短いスパンで取っていかないと壁はなかなかなくならず、30年後の未来につながっていかない」
やがて現役生活を終える時が来ても、ラグビーは続いていく。近年はサッカー本田圭佑など、アスリートが競技の枠を超え、スポーツ界に多大な影響力を与えている。自身もラグビー界を代表する立場。今後のキャリアにおいて、どう競技に貢献していくのか。最後まで、真っすぐな言葉が返って来た。
「今後、僕自身、あまり大きなことをやろうと思ってはいない。でも、これだけ大きなイベントが来る中、一つの競技に特化して教えることは昔からやっていたことだし、それだけで変化が起きない。そういう中で例えば、ラグビーと柔道だったり、他競技同士がコラボレーションしながら新しい世界観を創り上げ、子どもたちがスポーツを選べる環境を増やし、選択に多様性を持たせてあげることが大きなレガシーになると僕自身は考えている。だからこそ、そのためにできることをやり続けていきたい」
「4年に一度じゃない。一生に一度だ」――。W杯は、日本ラグビー界の一生を変える、新時代のホイッスルとなる。五郎丸は“その先”の未来をじっと、見つめている。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)