プロテスト4度失敗、母に告げた「次で最後にする」 エリートではない黄金世代・天本ハルカの初V
「あんな人になりたい」 宮里藍さんがきっかけで始まったゴルフ人生
テスト合格に至るまでには、数々のトップアスリートを担当してきたスポーツトレーナーの鴻江寿治氏と出会った。「無理のない体の使い方」を教わり、クラブも軽量に。技と心の面では男子プロのレジェンド・伊澤利光からも指導を受けた。
「鴻江さんと出会って、体が本当にいい状態になりました。伊澤さんからは今も毎日のようにLINEが来て、『勝てる選手だから、自信を持って頑張れ』と言ってくださいます。昨日の夜も『明日は楽しんで。グッドラック』というメッセージがありました」
ゴルフを始めたきっかけは、テレビで見た宮里藍さんが優勝する姿だった。「あんな人になりたい」。その一心で母・結子さんに頼み、自宅に程近いジュニアゴルフスクールの門を叩いた。
「最初はコーチに『低学年の子は危ないからダメだよ』と言われましたが、『真剣にやるんでお願いします』と頼んで入れてもらいました。最初の2年はコースには出ずに練習だけでしたが、3年目から試合にも出てどんどん楽しくなっていきました」
宮里さんの信条は「意志あるところに道はある」。天本もその生き方を学び、25歳にして初優勝にたどりついた。「藍さんは宮里藍サントリーレディスの会場でお見かけしたのですが、緊張してご挨拶もできていません」。だが、次週の国内メジャー・ワールドレディスサロンパス杯は宮里さんがホスト役を務めている。
「もし、機会があればご挨拶と初優勝のご報告がしたいです」
ゴルフがとにかく好き。「真面目」と言われながら、地道に階段を上がってきた。同期のエリートたちには遅れを取ったが、今でも「ゴルフが好き」と言えるほど高いモチベーションがある。
「これから、みんなに追いつき、追い越せの気持ちでやっていきます」
ツアー本格参戦した22年に「ゴルフファンの人に名前を覚えてほしい」と、登録名を本名の「遥香」から「ハルカ」に変更。これでファンにも宮里さんにも、名前を覚えられたはずだ。
(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)