“無双ドリブラー”三笘薫が生まれた日 小6の司令塔に恩師が「全部抜け」と指示した理由
ユース、大学と「怒られても仕掛け続けた」
「でも高校3年生の時は、プロか大学かで本当に悩んでいました。僕は『プロへ行け』と言いました。それほど薫は抜きん出ていた」
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髙﨑が続ける。
「でもユース時代にも、上手く試行錯誤を続けた。怒られても仕掛け続けたし、筑波大学にも小井土正亮監督がチャレンジを許してくれる環境があり、薫もドリブルにこだわりを持ってやり続けた」
こうして満を持して臨んだJリーグでは、瞬く間に常勝川崎の切り札として席巻し、日本代表、さらには欧州進出と飛躍を遂げていった。
「結局自信がつけば、プレミアリーグでもできるんですよ、薫は」
遠回りをした大器は、必ずしも遅咲きだったわけではないようだ。(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)