久保建英は「2度と同じ失敗をしない」 川崎U-12元監督、規格外の10歳から受けた衝撃
90分間の練習ですべて出し切ることを10歳で覚えた
きっと厳しい環境に置けば、もっと伸びるだろうなと見ていたら、バルセロナ行きが決まる。本来チームとしては痛手だが、髙崎の本音は「大賛成だった」という。
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「2歳でバルセロナに行くと言ったそうですが、行き帰りの電車の中では、ずっとスペイン語の辞書を読んでいると聞いたので『楽しい?』と尋ねると『楽しい』と答える。目的がバルサ行きだから楽しいんだろうな、とは思いましたが、とにかくこんな少年は見たことがなかった」
しかしそれでいて、両親は久保にサッカー漬けを強いることはなく、むしろサッカーから離れる時間を創出しようとしていたそうだ。
「ご両親が立派で、逞しく育てるように心がけていたようです。トレーニングが終われば、一緒に魚釣りや虫取りに行き、自然に触れて遊ばせるようにしていました」
スペインへ渡ってからも、久保は逞しく進化した。バルセロナへ行き、3~4か月後に冬休みを利用して一時帰国すると、川崎U-12のトレーニングに参加した。
「もともと絶対に奪われず、すぐに蹴れるところにボールを置いていましたが、さらに奪われないところにボールを置くようになっていました。たぶん日本にいた頃と同じ置きどころでは、削られてしまうんでしょうね」
そして川崎のトレーニングが90分間を経過すると、久保は「もう走れない。コーチ、休んでいい?」と座り込んでしまった。
「これは凄いと思いました。10歳の子が、90分間で完全に出し切ることを覚えてしまったんです。3~4か月で、もうスペインの習慣や文化に染まったんだな、と実感しました」
髙崎は、それをキョトンと見つめて、まだ余力を残す自チームの選手たちを叱咤した。
「おまえらも90分間ですべて出し切ってみろ!」
長時間練習が常態化している日本では、逆に十分な強度を追求しきれない。根本的に彼我の違いは明白だった。
「バルサでは、本当に集中しないとポジションがなくなるそうです。4日間のトレーニングは、日曜日にスタメンを獲るための熾烈な競争。7人制で3-2-1の『1』か『2』のポジションを争うわけですから、それは想像を絶する厳しさだったはずです」
実際チームメートには、現在トップチームで活躍するアンス・ファティやエリック・ガルシアなどがいた。