内村航平に救われた日本代表8人が証言 成績だけじゃない、史上No.1選手の「言葉力」
「内村2世」と呼ばれた北園丈琉、内村は報道陣に異を唱えた
同じく33歳の亀山耕平(徳洲会)が知り合ったのも高2の時。「衝撃的だった。こんなやつ出てきたんだ、こいつには勝てないと思った」。でも、次は勝ちたい。発奮させられたが、ライバルは猛スピードで世界の頂点に上り詰めた。「6種目やるのは諦めた方がいいと思った」と鞍馬に専念。スペシャリストとして13年世界選手権で金メダルを手にした。
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「間近でスーパースターになっていく姿を見せてもらった。人生で彼と体操ができたことは自分にとって自慢、誇りになると思っています」
東京五輪に出場した若手には、幼い頃から雲の上の存在だった。25歳の萱和磨(セントラルスポーツ)は大学1年で初代表。当時の主将が内村だった。「僕は右も左もわからない。背中で引っ張ってくれた。何も考えず自分らしく頑張れるように」。自身は周囲から「失敗しない男」と呼ばれるがあまり、練習でも常に完璧を追い求めていた。
「ミスはダメだ、悪だ」と苦しむ日々。ただ、内村からは「練習では失敗してもいいんだよ。失敗が財産になる」と助言された。試合で完璧な演技をするキングも、凄まじい数の失敗を重ねてきたことを知った。
「それを言われて楽になった。練習でミスが出たからこそ学びがある。それを試合で出さないために練習する。キャプテンの立場も学ばせていただいた。今は自分が代表で上の年齢になる。周りを見て少しはできるようになったのかな」
19歳の北園丈琉(徳洲会)は、かつて「内村2世」として注目されていた。しかし、内村はこのフレーズに異を唱え、使わないよう報道陣に求めたこともある。無用な重圧を与えないためだった。北園は存在に感謝する。
「初めて本格的に試合に出た時から世界のトップにいる。あんなふうになりたいと思って目標にしてきた。そこだけを見て今までやってきた。少しでも追いつけるように頑張っていきたいという想いは今も変わっていません」
橋本大輝(順大)は「全日本選手権の予選があまりよくなくて、その後に『大輝なら大丈夫だよ』と言われて東京五輪代表に入ることができた」と明かした。東京五輪は個人総合&鉄棒2冠の快挙を達成。「その時の言葉は大事にしている」。内村がロンドン、リオで手にした五輪王者の称号を受け継いだ。
お家芸と言われるニッポンの体操。築き上げた今の選手たちは、キャリアの要所で一人の選手に支えられていた。それは相手が他の誰でもなく、「内村航平」だったから動かされた。与えた影響は計り知れない。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)