「ここから飛び降りたら楽に…」 かつて心を壊した大山加奈の告白とメンタルヘルス問題【THE ANSWER Best of 2021】
「ここから飛び降りたら楽になれるかな」 精神安定剤を飲み、窓の外を見て本気で…
原因は代表争いを巡る心の重圧にあった。
もともと人と競い合うことが得意ではなく、気の優しい選手。それまでノビノビとしたチームでプレーしてきた。しかし、五輪代表は周りを蹴落としてでも生き残りをかける場。当時は当落線上とあり、余計に心が疲弊したという。コーチ陣からもらう叱咤の言葉も逆に負担になった。
「下手だ下手だと怒られ続けるうち、自信をなくし、自分を認めてあげられなくなりました。腰の怪我もあって思うようにプレーできない。いろんなことが重なりました。『オリンピックに行けない自分には価値がない』『バレーボール選手じゃない自分には価値がない』と思い詰めていました」
症状が治まらないまま、腰の治療を経て、翌2005年に1年ぶりに代表復帰。メディカルチェックを受けた時のこと。代表をサポートする国立スポーツ科学センター(JISS)の医師に「ぽろっと」軽い気持ちで、自分の体に起きていることを伝えた。
どんな言葉を言われたか記憶はおぼろげ。しかし、確かなのは「うつ」という表現は使われなかったものの、その口ぶりに「敢えて、私のために隠してくれている」と思い、深刻さを感じ取ったこと。精神安定剤を勧められ、朝晩、服用するようになった。
そこからの道は、壮絶だった。
腰の状態は万全ではなく、一人でリハビリすることが多かった。トレーニングルームがあったのは4階。窓の外を見て、本気で思った。
「ここから飛び降りたら、楽になれるのかな」
担当医師は東京にいるため、滋賀が拠点だった大山さんは一度にまとめて精神安定剤をもらった。薬を口にするたび、脳裏をよぎった。
「一気にこれを飲んだら、どうなるんだろう」
心が壊れていることも、薬を飲んでいることも周りに言えなかった。同僚、友人、家族、その誰にも……。理由は「心のどこかに恥ずかしさがあった。言ってしまうと、自分の弱さを認めることになる気がしたから」。これが、この問題を根深くさせる要因である。
所属する東レには高校の同級生である荒木絵里香や妹の未希もプレーしていたが、むしろ距離を取って、すべてを一人で抱え込んだ。海外遠征で自分の姿をニュースで見た母から「亡霊みたいだよ」とメールが来た。「見た目から何から、すべてが悲惨な状況でした」
救いになったのは、薬を飲み始めてしばらく経った後、担当医師から言われたこと。「こういう選手はたくさんいるよ。あなただけじゃないから」。世界のアスリートを知るJISSの専門家の言葉に、少しだけ心が楽になった。
しかし、普通なら大学生にあたる20歳過ぎの話。しかも、26歳で引退するまでの6年間、そして、引退後もしばらく精神安定剤を手放せなかった。
「薬をやめると、また症状が出るのが、ずっと怖かったので」