日本バスケ初の1億円プレーヤー 167cm富樫勇樹、未来の“小さな巨人”に贈る身長論
「その身長で点を獲れないならいらない」、プロで突きつけられた指揮官の言葉
高校卒業後は当時bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団。中村和雄ヘッドコーチから指摘され続けた。「プロとしてお前がこの身長でやっていくには、もうオフェンスしかない」。打たなければ怒られる。シュート、パス、ドリブル、在籍した1年半はオフェンスを磨きまくった。
「ディフェンスではマイナスしかない。オフェンスでどれだけプラスにできるかとずっと言われ続けました。もう自分はこのスタイルで生きていく。プロになってからそう考えるようになった。『その身長で点を獲れないならいらない』と言われて、そういう意識で試合をした結果が今の自分をつくっています」
自分にできることをやり続ける。いくらシュートがリングに嫌われても打ち続け、自分の確実な武器をつくり上げていった。2015年9月に千葉ジェッツと契約。またしても岐路に立たされた。
当時のヘッドコーチは富樫のプレースタイルに否定的。PGにはシュートよりも、チームの統率やパスを主に求めた。この時、22歳。“進路選択”を迫られた。「このスタイルをやめて試合に出るか、反抗してでも自分のスタイルを貫くか」。そして、自分の気持ちに素直になった。
「自分のスタイルのままプレーして試合に出られない方を選びました。でも、自分の中ではよかったのかなって。シュートを打たなかったら、そういう選手になっていく。そこは自分の良さではないと思っていた。シュートを打ち続けた結果、試合に出してもらえなくなりました(笑)」
今では笑って振り返るが、プレー時間は前シーズンの半分以下に。ただ、後悔はない。あの時、自分を貫かなかったら今の姿はないと断言できるからだ。結果的にチームは成績を残せず、シーズン途中にヘッドコーチが代わることになった。
自身の得点力を生かすには、味方のスクリーンなどサポートが必要。だからこそ、「バスケは5人でやっている。1人ではなくチームとして同じ意識を持ってやらないといい方向に進まない」と仲間に感謝する意識がある。「自分を貫く」というのは、単にわがままを押しつけることではない。チームに最も貢献する方法を考えた結果だ。