[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

1年生は「なぜ丸刈り?」 マラソン元五輪代表・尾方剛、疑問抱くも山梨学院大進学を選んだ理由

大学の寮生活で「親のありがたみを痛感した」

 最終的に、尾方は山梨学院大を選択した。

「一番熱心に僕を勧誘してくださって、自分のことを考えてくれた。丸刈りは気になりましたけど、『丸刈りにしてまでも陸上を真剣に取り組む選手を指導したい』と言われ、監督の熱を感じた。丸刈りを受け入れ(笑)、山梨学院大に行くことに決めました」

 大学生活に入り、1年生が最初に面食らうのが寮生活だ。大学ごとに就寝時間や門限など寮の規則があり、掃除、洗濯、配膳、電話番など仕事が多く、先輩との上下関係にもストレスを感じるケースがわりと多い。尾方は高校時代、自宅から通学だったので「慣れるまで大変だった」という。

「消灯時間後に、たまに上田先生が見回りに来るんですが、電気を消し忘れたりすると怒鳴り込んで来られたりしましたね。でも、一番大変だったのは食事の当番です。当時、寮は自炊だったんですよ。1年生が交代で週3で朝と夜の食事を作るんですけど、高校時代は自宅だったので、料理なんか作ったことないんです。料理本を買ってきて、献立を考えて、新聞に入っているスーパーのチラシを見て、授業や練習の合間に買い物に行ってました。僕の先輩が厳しい人で、レトルトはNGだったので、授業の合間に煮物を作って、練習が終わってから炒め物をしたり、本当に大変で親のありがたみを痛感しました」

 生活環境の変化に苦労しつつ、競技面もつらい時期が続いた。入学当時から故障し、他の選手が練習メニューを着実にこなしていくなか、尾方はひたすら故障者のメニューをこなした。記録会はもちろん、関東インカレにも出られず、当時はバンクーバーで開催された駅伝にチームが出場していたが、その大会にも出られなかった。1年が経過してもなかなか完治せず、気持ちはどんどん追い込まれていった。

 この時、尾方は陸上人生で唯一、辞めることも考えた。

「ずっと故障していて、寮の生活も大変。しかも、僕よりも入学時のタイムが遅い選手が、普通に練習して試合に出ている。練習や試合では絶対に負けない自信があるけど、自分は何もできない。彼らと自分の現状を比較して、これが続くなら苦しいし、いっそ辞めようかなと考えたことはありました」

 夢を持って大学に入学はしたけれど、1年目は思い描いていた競技生活は送れなかった。大きな挫折を経験していくなか、尾方が大きく開花するのは大学2年の箱根駅伝まで待つことになる。

■尾方 剛(おがた・つよし)

 1973年5月11日生まれ、広島県出身。熊野高3年時に1万メートルで当時の高校歴代3位の記録をマーク。山梨学院大2年時の箱根駅伝では10区で区間賞の走りを見せ、2度目の総合優勝に貢献した。その後は負傷などに苦しみ、中国電力入社後も低迷していたが復活。マラソンに挑戦し、2001年ベルリンマラソン4位を皮切りに国際大会で結果を残し始め、04年福岡国際マラソンで初優勝を果たす。05年世界陸上ヘルシンキ大会で銅メダル獲得。08年に念願の北京五輪出場を果たすも13位に終わった。12年の現役引退後は広島経済大陸上競技部の監督を務めるとともに、解説者としても活躍する。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

1 2

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集