高校サッカー監督から転職 選手権13度の62歳元名将、静岡で第2の人生を始めた理由
ホテル施設管理も担当 監督と校長の経験が生きるマネジメント業務
「私は時之栖に来て、サッカーをやる場所のコントロールをしています。1つは施設管理で、天然芝、グランド周りの植栽なども管理し、開催するさまざまな大会の精査もしています。その上で、ホテルの施設管理なども担当するスポーツ事業部の部長という立場にもなりました。ボイラー、金魚の水族館、イチゴ畑も管轄しています。
もちろん、自分ではボイラーの修理はできませんが、できる人をマネジメントしてコントロールできるかが大事。そのために1人1人とコミュニケーションを取り、『ここまでは必ずやってほしい。でも、君にはこういう才能を感じるから、もっとこの部分を頑張ってほしい。私は仕事をしやすい環境を作るから』と伝えるようにしています」
34年間、高校サッカー部を率いた立場として、時之栖で合宿をするチームの監督から、アドバイスを求められることもあるという。
「試合が始まって5分もすれば、チームの問題点が見えてきます。その上で、選手の適性を見て『こことここを代えたら変わるのでは』とポジション変更を提案することもあります」
ただ、もう1度、自分で1つのチームを作り上げることは考えていないという。
「それはいいです。もともと、自分のチームを日本一にすることよりも、選手の個を伸ばし、彼らが日本代表のW杯優勝に貢献することが大事と考えてきました。なので、自分の教え子でなくても、いい選手を見つけたら、代表監督に連絡を入れて『見に来てほしい』と伝えることもあります」
家族のいる奈良を離れて約6年。「仕事があるので3、4か月に1度しか帰れません」と言うが、20年2月には、楢崎を含めた教え子たちが中心になり、奈良市で約400人参加の「上間政彦先生 還暦祝賀パーティー」を開催した。そして、楢崎の壁になっていた中村は現在、奈良育英ゴルフ部の部長。サッカー部監督も昨年度から教え子の梶村卓になり、2年連続で同校を全国選手権出場に導いている。不本意な形で奈良育英を去るも、上間氏は多くの「理解者」がいる幸せを噛みしめ、静岡で熱く生きている。
■上間政彦(うえま・まさひこ)
1960年1月17日、大阪府出身。天理大卒。83年に教師として、奈良育英高に就職。同時にサッカー部のコーチになり、5年目の87年には監督に就任。同校を全国高校選手権初出場へ導いた。その後、日本代表になる柳本啓成、楢崎正剛ら多数のJリーガーを輩出。楢崎が3年時の94年度大会では、ベスト4入り。奈良県トレーニングセンターの設立やプリンスリーグの前身「U-18関西リーグ」設立にも尽力した。01年には、JFA(日本サッカー協会)公認S級コーチの資格を取得。12年から奈良育英高の校長を務め、17年7月で退職。同年10月、株式会社時之栖に入社。
(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)