「こんなにレベル高いのか」 憧れのスペイン移籍初日、乾貴士のサッカー観を変えた衝撃
サッカー日本代表の歴代アタッカーの中でも、乾貴士(清水エスパルス)は多くの人の記憶に残るキャリアを歩んだと言えるだろう。野洲高校2年時に攻撃的なスタイルを貫くチームで全国制覇を経験。プロ入り当初は苦しむも23歳でドイツ2部へ移籍すると、着実にステップアップを果たし2015年に念願のスペインへ。名門バルセロナから敵地カンプ・ノウで2ゴールを奪うなど憧れの舞台で躍動。18年ロシアW杯の日本代表メンバーに滑り込み、セネガル戦とベルギー戦で世界を驚かせる一撃を決めた。
乾貴士インタビュー第2回、憧れのスペインへ近づくためにドイツ2部行きを決断
サッカー日本代表の歴代アタッカーの中でも、乾貴士(清水エスパルス)は多くの人の記憶に残るキャリアを歩んだと言えるだろう。野洲高校2年時に攻撃的なスタイルを貫くチームで全国制覇を経験。プロ入り当初は苦しむも23歳でドイツ2部へ移籍すると、着実にステップアップを果たし2015年に念願のスペインへ。名門バルセロナから敵地カンプ・ノウで2ゴールを奪うなど憧れの舞台で躍動。18年ロシアW杯の日本代表メンバーに滑り込み、セネガル戦とベルギー戦で世界を驚かせる一撃を決めた。
そんな名手も今年6月で35歳になる。在籍2年目の清水で自身14年ぶりのJ2リーグを戦う今、何を思うのか。第2回のテーマは、サッカー人生を大きく変える決断となった海外移籍について。ドイツ2部からスタートし、苦しい日々を過ごしながらも憧れだったスペインの舞台へ辿り着く。そこで過ごした日々はサッカー人生で最も楽しく、自身の成長につながる学びにあふれていたという。(取材・文=佐藤 俊)
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2007年、横浜F・マリノスでプロサッカー選手のスタートを切った乾貴士だが、1年目は分厚い選手層に阻まれ、なかなか試合に出ることができなかった。出場機会を求めて2008年6月にセレッソ大阪へ期限付き移籍。その後、主軸に成長した。
2011年8月、ドイツ2部ボーフムからオファーが届き、乾は念願の海外移籍を実現させた。
国内移籍とは異なり、海外移籍は環境面、サッカーのレベルやフィジカル、戦術が異なり、決断するには迷うところだが、乾は「選択肢は1つ」だったという。
「ずっと海外に行きたかったですし、スペインでプレーするのが目標でした。だけど、自分の行きたいところからオファーなんて、そんなに簡単に来るもんじゃない。クラブはドイツの2部でしたけど、そこに行かない選択肢はなかったです」
ドイツ、しかも2部は当たりが激しく、よりフィジカル面の強さが求められる傾向にある。体の小さな乾にとってみれば厳しい環境になるが、それでも海外に行くメリットがあったがゆえにドイツ行きを決心した。そのメリットとは、どういうものだったのか。
「日本にいるのと欧州でプレーするのとでは、スカウトや代理人に自分を見てもらえる回数が違い過ぎるんです。日本で結果を出すよりも欧州で結果を出すほうがスペインに近づけると思っていたので、まずは行くことが重要。そこで活躍して、どんどんステップアップしていけば、いずれスペインに行けると思ってドイツに行くことを決めました」