母の一言が「僕の背中を押した」 15歳で越境入学、バスケ篠山竜青が語る高校選びで大切なこと
バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、前身の東芝時代の栄光を受け継ぐ国内屈指の強豪クラブ。熱狂的なブースターがアリーナをブレイブレッドに染め上げ、チームは毎シーズン優勝争いを展開している。そんな名門のリアルな姿に、選手のインタビューやコート内外のストーリーで迫る連載。第1回では2011年から川崎一筋でプレーする35歳のポイントガード(PG)、篠山竜青を直撃した。
連載「川崎ブレイブサンダースNOW」第1回、篠山竜青インタビュー後編「10代の選択」
バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、前身の東芝時代の栄光を受け継ぐ国内屈指の強豪クラブ。熱狂的なブースターがアリーナをブレイブレッドに染め上げ、チームは毎シーズン優勝争いを展開している。そんな名門のリアルな姿に、選手のインタビューやコート内外のストーリーで迫る連載。第1回では2011年から川崎一筋でプレーする35歳のポイントガード(PG)、篠山竜青を直撃した。
後編では「10代の選択」をテーマに、学生時代の進路選択について話を聞いた。神奈川県出身の篠山は、高校進学の際に地元を離れて福井県の北陸高校への越境入学を決意。当時のエピソードを交えながら、その後のキャリアにも大きな影響を与えた決断の背景に迫った。(取材・文=青木 美帆)
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ターニングポイントは、中学3年生に進級する春休みだった。
有望中学生が各都道府県の選抜チームの一員となって戦う「都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会」(通称「ジュニアオールスター」)という大会で、中学2年生(新3年)の篠山竜青は神奈川県選抜のキャプテンを務めていた。2戦全勝で予選リーグを勝ち抜き、迎えた決勝トーナメント初戦、神奈川県選抜は大阪府選抜と対戦。篠山はチーム最多の22得点を挙げる活躍を見せたが、チームは49-52で惜敗した。
その後、大会を制することになる大阪府選抜に自身の力が通用したという経験は、15歳の少年に大いなる自信を与え、同時に数年後へと続くパスウェイを見せた。「全国でプレーする自分と同じ世代の人たちを自分の物差しで測れて、『あれ、チャンスあるんじゃないかな』と。ここで初めて、将来バスケで生きていくことを真剣に考えるようになりました」と篠山は証言する。
当時の国内バスケの最高峰リーグのJBLは、実業団チームのみで構成されていた。各チームが毎年1~2人しか新規選手を獲得せず、その門戸は大学バスケで活躍した超トップ選手にしか開かれていないことを知った篠山は、その枠にすべり込むにはどうすればいいかを逆算し始めた。
強い大学に入るには強い高校に入らなければいけない。それが篠山の出したシンプルな答えだった。
神奈川の男子高校バスケは、学校や競技人口の多さが影響してか好選手が1チームに集中せず、それゆえに上位の順位が大会ごとに入れ替わる傾向が強い。篠山が中学生だった頃はその傾向が今より強く、トップ選手たちは全国大会で上位を狙える県外の高校に進学するのが通例だった。
兄と姉が神奈川県内の強豪高校でプレーした篠山は、そのような県内の現状を知っていた。前述の通り、目標への最短ルートも分かっていた。しかし、篠山はその選択から一度見て見ぬふりをした。
「正直、神奈川県内の高校に進めば下級生の頃から活躍できそうだし……みたいな感じだったんです」
高校、大学と全国制覇の立役者になり、川崎や日本代表でも力を発揮する以降のキャリアを考えると、にわかに想像しづらい言葉。「やっぱり、県外はハードルが高かったですよね。根っこは人見知りだし、性格的に積極的でもないし、末っ子だし甘えん坊さんだし」。兄は8歳上。姉は5歳上。「何も言わなくても欲しい物が全部出てくると言いますか、家族から甘やかされて育ったという自覚はあります」。両親(主に母)と進路について話をすることもあったが、夏休みに行われる中総体が終わってからゆっくり考えればいいと言われていた。