“14歳の金メダリスト”の意外な今 騒動で一度は水泳が嫌いに…夏に起こる水難事故「着衣泳を知れば」――競泳・岩崎恭子
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪に合わせて「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#107 連載「あのオリンピック選手は今」
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪に合わせて「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
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五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第9回は、1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子さん。当時14歳で日本史上最年少の金メダリストとなり「今まで生きてきた中で、一番幸せです」の名言を残した。あれから8大会32年、46歳になった「恭子ちゃん」は今、新たな活動に力を注いでいる。(取材・文=荻島 弘一)
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岩崎さんの「今まで生きてきた中で……」は、今も多くの人の記憶に残る。女子マラソン有森裕子の「自分で自分を褒めたい」や北島康介の「チョー気持ちいい」と並ぶ日本の五輪史に残る名言。14歳は、言葉とともに国民的ヒロインになった。
「正直、ありがたいですよね。今も、こうして覚えてもらっている。何人もいるメダリストの中で印象に残るのはうれしい。今振り返れば、あの言葉も『よく言ったな』っていう感じですね」
周囲の騒ぎに苦しめられ、水泳をやめたいと思うこともあったが。そこから立ち直って96年アトランタ五輪に出場。98年、20歳で選手を引退した後は、メディアの仕事や指導。普及など水泳にかかわる仕事をしてきた。日本オリンピック委員会(JOC)の在外研修員として、米国にコーチ留学もした。しかし、どれも明確な目標があっての行動ではなかった。
「自然の流れの中でやっていただけ。(水泳)連盟に頼まれたり、いろいろなところからお話をいただいたり。目の前の仕事を一生懸命やるだけ。明確に『これを』というのはなかったですね。根本的には水泳界のためだけど、将来について明確には考えていなかったですね」
2010年にはユースオリンピックに臨む日本代表チームのコーチも任された。バルセロナ五輪の時に「中2トリオ」と呼ばれた稲田法子さんと一緒に、日の丸をつけて中高生の指導にあたった。
「たまたま国内での大会が重なる水泳にとっては忙しい時期。スイミングクラブのコーチは無理、学校の先生は無理で、競泳委員の中では私たちしかいないよね、とか話していたんです」
これからの日本水泳界を背負う若手選手を岩崎さんらが率いる。14歳で金メダルを獲得した貴重な経験を伝える役目もあったはず。もっとも、本人はあくまで自然体だった。
「私たちがコーチになったことには意味があると思うけれど、特に何かを話すことはなかった。ただ、海外に出た経験のない子たちに、自分の経験は教えたりした。バスは時間通りに来ないのは普通だから、少し前に行って待っていた方がいい、とか(笑)」
その後も幅広く仕事をこなしてきた岩崎さんが、近年取り組んでいるのは「着衣泳」。水難・水害事故にあった時に衣服を着た状態でいかに対処するか。その指導、普及に努めているという。