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医学部医学科初のプロ野球選手へ 最速147kmの6年生・竹内奎人、医師の夢を一旦封印して挑む理由

実習などで多忙でもMAX147キロまで成長。野球をやり切った後、医師への道を再び歩む予定【写真:本人提供】
実習などで多忙でもMAX147キロまで成長。野球をやり切った後、医師への道を再び歩む予定【写真:本人提供】

ドラフト指名されなくても野球の道に「不安はあまりない」

「第5巡選択希望選手 横浜DeNA 池谷蒼大 投手 ヤマハ」

 手術翌日が、たまたまドラフト会議の日。静岡高の同級生で、背番号1をつけていた池谷の名前が呼ばれた。竹内も主戦級でともに切磋琢磨した間柄。「リハビリの後、体を作り直してもう一回本気で」。かつての仲間に心を突き動かされた。

 野球部の練習は、群馬大のグラウンドで週2回と、前橋でグラウンドを借りて1回の週3回だけ。病院実習は夜9時までかかることもあるほか、授業や試験と大会が被っても融通は利かない。そのため、昨年は9月の全国大会の切符を掴みながら、竹内たちの学年は出場できなかった。

 一方で、医学部だから成長できた面もある。解剖や生理学の知識、栄養学など本格的な学びがトレーニングでプラスになった。現役プロ選手も多数参加する内田聖人さん主宰のオンラインサロン「NEOREBASE」にも加入。様々な障壁とぶつかりながら、球速はMAX147キロまで伸ばした。

 卒業後も野球を続ける旨、両親に伝えたのは昨年。昔から意見を尊重してくれた。「やりたいようにやりなさい。ただし、自分で自分の責任は持つように」。半端な挑戦に終わることだけは許されない。

 体が動く今しかできない野球をやり切ったら、一旦“封印”した整形外科医への道を再び歩み始める予定。医師となるには国家試験に合格し、卒業後に研修医として2年間経験を積まなければならない。竹内の場合は2月の国家試験合格を目指し、卒業後は野球に没頭。引退後に研修医となる考えだ。

 ドラフト指名されなくても、クラブチームや独立リーグのトライアウト受験も視野に、本気で野球ができる環境を求める。

「このまま医師として就職すれば、生活は保障されるかもしれない。でも、それを取らずにチャレンジすることに不安はあまりありません。逆に、野球を続けなかったら後悔することだけは分かっているので」

 昨年のドラフトでは、京大医学部の水口創太投手がソフトバンクから育成ドラフト7位指名を受けた。医学部からのNPB入りは史上初だったが、水口は理学療法士などの人材を育てる人間健康科学科出身。竹内がプロ入りすれば医学部医学科からは初となる。

 運命のドラフト会議まで15日。どんな結果が待っていようと、受け止める覚悟と次へ進む意思はある。

■竹内奎人(たけうち・けいと)

 1999年5月29日、静岡県出身。小1から野球をはじめ、中学時代は伊東リトルシニアでプレー。侍ジャパンU-15日本代表にも選出され、ワールドカップ7位だった。静岡高では1年秋からベンチ入り。高校時代の最速は141キロで、池谷蒼大とともに主戦級の投手として活躍。2017年のセンバツで甲子園のマウンドも経験した。引退後は猛勉強の末、群馬大医学部医学科に一般公募推薦入試で現役合格。準硬式野球部でプレーした。身長181センチ、体重83キロ。右投右打。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)

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