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25歳で「引退」を決意した日 杉山愛は1日23個のルーティーンで現役を9年延ばした

25歳のときに陥ったスランプで「引退」の文字が頭をよぎった【写真:Getty Images】
25歳のときに陥ったスランプで「引退」の文字が頭をよぎった【写真:Getty Images】

打ち方さえ分からずボロボロ、自信がなくなり「引退」の文字が頭をよぎった

 現役時代、杉山さんは日に23個のルーティーンがあったという。試合当日ともなれば、なんとその数33個。彼女がどれだけ緻密に、体と心に向き合っていたかが数字に表れている。

「例えば、朝起きてすぐに30分、呼吸法を行います。私はすごく緊張するタイプで、大事な試合で空回りしたり、自分に負けたりして、トレーニングの成果をなかなか試合に出せなかった。何かないかと探しているとき、医学博士の塩谷信男さんが提唱する“正心調息法”の本と出会い、試したら、すごくしっくりきました。

 とにかく『いいかも』と思ったものは何でも試しました。しっくりこないものも当然あるので、トライ&エラーを繰り返し、最終的に残ったのが23個です」

 杉山さんがルーティーンを構築するに至るきっかけは、25歳のときに陥ったスランプだった。

 25歳を迎えた2000年、杉山さんは全米オープンの女子ダブルスで優勝。日本人選手として初めて、WTAダブルスランキング1位に輝いた。しかし一方で、シングルスの戦績は振るわず、迷走する。

「その頃はボールの打ち方さえ分からなくなるほどボロボロで、うまくプレーできる気がまるでしなかった。自信がなくなると希望も見えなくなり、引退、という文字が頭をよぎりました」

 杉山さんは遠征先から母・芙沙子さんに電話し、「テニスを辞めようと思う」と伝える。すると芙沙子さんは「やるべきことをすべてやりきったの?」と返した。

「『ここで辞めたら、きっと他のことをやってもうまくいかないんじゃない?』。その言葉が目覚ましになりました。テニスは私自身が選んだ道。引退する=すべてをやりきった、ということか、と。あぁ、私はまだやり切れていない。ならば、やり切ろう、と切り替わり、自分と向き合う作業が始まりました」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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