砂場もない中学校から日本の走り幅跳びエースに 陸上・橋岡優輝、中学3年生で突然訪れた岐路
中学3年生で掴んだ全国大会出場のチャンスが転機に
実は、小学校6年生の時の体育の授業で「走り幅跳びが面白いと感じた」と胸を高鳴らせた記憶はある。しかし、陸上部に所属した中学校には走り幅跳びで着地するための砂場がなかった。
そのため中学1年次は100メートル、2年次からは四種競技の道を歩む。
「110メートルハードル、砲丸投げ、走り高跳び、400メートルの4種目の成績をポイント化して競う混成種目でした。いろいろな競技を経験することで体の使い方を覚えたのも良かったのかもしれません。陸上競技なので走ることはすべてに共通しますし、僕は特に走り高跳びが得意でした」
岐路はある瞬間、突然訪れる。
中学3年生になり、全国大会に出場するチャンスを掴む。「ほどほどに練習をこなしていた」と苦笑いしながら振り返った日々の積み重ねが確実に身となり、さらに身体的な部分での追い風もあって全国大会3位の好成績を収める。
「いろいろな巡り合わせが重なった結果だと思っています。成長期がその時期と重なり、あまり練習しなくても身体的な部分で補えました。あまり練習をハードにやらなかったおかげで成長痛もなかったんです(苦笑)。毎日の部活動を程よくこなしていたことが成長曲線とフィットしたのでしょう」
今では納得できないであろう3位という結果にも、悔しさは一切なかった。むしろ「楽しいと気付けたきっかけ」で、いよいよ本格的にのめり込んでいく。
高校進学の際、本格的に走り幅跳びへのチャレンジを決意した。八王子学園八王子高校(東京)では2000年シドニー五輪に出場した経験を持つ叔父の渡辺大輔さんに師事する。
その頃には、目の色が変わっていた。もちろん自覚がある。
「高校生になった時には、部員というよりも競技者という考えに切り替わっていましたし、その覚悟もできていました。競技で食べていく覚悟を持つか、趣味として楽しむのかの違いです」
中学3年次に2020年の五輪が東京で開催されることが決まったことも背中を押した。当時は漠然とした夢でありながらも、7年後の自国開催を夢物語で終わらせるのはもったいない。卒業文集に「オリンピックに出場する」と記すのは必然だった。