砂場もない中学校から日本の走り幅跳びエースに 陸上・橋岡優輝、中学3年生で突然訪れた岐路
陸上走り幅跳びの橋岡優輝(富士通)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、競技人生のターニングポイントについて語った。スポーツ選手が進路や競技を選択していくなかで訪れる分岐点。東京五輪で6位入賞した日本のエースジャンパーには、中学3年生で突然訪れた岐路があったという。(取材・文=藤井 雅彦)
東京五輪6位入賞、日本のエースジャンパーにあった進路選択の分岐点
陸上走り幅跳びの橋岡優輝(富士通)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、競技人生のターニングポイントについて語った。スポーツ選手が進路や競技を選択していくなかで訪れる分岐点。東京五輪で6位入賞した日本のエースジャンパーには、中学3年生で突然訪れた岐路があったという。(取材・文=藤井 雅彦)
【前編】陸上界のエースが送った普通の少年時代 両親と保てた心地いい距離感 / 陸上 橋岡優輝選手インタビュー(GROWINGへ)
【後編】高校生で決めた「競技者」の覚悟 悔しさをバネに目指す世界のトップ / 陸上 橋岡優輝選手インタビュー(GROWINGへ)
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トップアスリートの分岐点には、さまざまなカタチがある。
陸上男子走り幅跳びで押しも押されもせぬ日本人エースとして君臨する橋岡優輝も、まったく例外ではなかった。
陸上一家に生まれた彼が走り幅跳びの世界に飛び込んだのは、高校生になってから。育成年代における競技環境がメジャースポーツほど整っていないとはいえ、近年の活躍ぶりからすると決して早いスタートとは言えないだろう。
幼少期は放課後の校庭で自由奔放に走り回る普通の少年として過ごす。ある日は野球、ある時はサッカーやバスケットボール、雨が降れば友だちの家に駆け込んでテレビゲームに熱中した。
特定のスポーツクラブには所属しなかった。橋岡なりの理由がある。
「野球やサッカーの少年団に入ろうかなと考えたことはあるんです。でも、どのスポーツにしても土日に試合があるじゃないですか。土日にも活動があると、遊ぶ時間がなくなってしまう。友だちと遊びたいという気持ちが先行していました(苦笑)」
それでも小学校3年次と4年次に出場した市の陸上競技大会では、100メートルの種目で連覇を達成。応募用紙に記入して参加費を支払えば誰でも出場できる市民大会だが、早くからポテンシャルの一端を示していた。
両親が元日本記録保持者のアスリートであることは「ほとんど知らなかった」。自宅にメダルやトロフィーの類は一切なく、陸上競技を勧められた記憶もない。意思を尊重してもらえる教育方針の下で、のびのびと遊びを満喫した。