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アスリートを悩ませる引退後の人生 杉山愛は「100のやりたいこと」をノートに書いた

引退後の人生をどう送るのか。その不安は、例えトップアスリートであっても抱えている。日本を代表する女子プロテニスプレーヤーとして、輝かしい戦歴を残した杉山愛さんもその一人。引退後、自分の道を見失いかけたとき、彼女を救った行動とは?

日本の女子プロテニスを牽引した杉山愛さん【写真:Getty Images】
日本の女子プロテニスを牽引した杉山愛さん【写真:Getty Images】

トップ選手でも抱える引退後の不安、杉山愛さんを救った「ノート」とは

 引退後の人生をどう送るのか。その不安は、例えトップアスリートであっても抱えている。日本を代表する女子プロテニスプレーヤーとして、輝かしい戦歴を残した杉山愛さんもその一人。引退後、自分の道を見失いかけたとき、彼女を救った行動とは?

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「――引退後、私はいったいどうなるのだろう?」

 現役時代、女子ダブルスでは世界1位に、シングルでも最高8位にランキングと、日本の女子プロテニスを牽引する存在だった杉山愛さん。そんな彼女も、引退後については漠然と不安を抱えていたという。

「私は4歳で、テニスに出会ってしまった。17歳でプロになり、以降17年間、自分がもっとも大好きなテニスを続けながら『私にとってこれ以上の仕事はない』と常々、思っていました。競技人生が終わったら私はどうなるのだろう? 何をやればいいのだろう? 引退後を考えると不安ばかりでした」

 最初に思い浮かんだのは指導者としての姿だった。杉山さんは“小柄”という肉体的ハンディを克服するため、あらゆるトレーニングを取り入れ、自分を追い込み、鍛えてきた。その経験を活かせるのではないかと考えた。

「でも、選手に帯同するツアーコーチの生活は、選手の延長線上といえるほど過酷。だったら選手をやっているほうがいいな、と(笑)。17歳でプロになってから転戦・転戦の日々だったので、まずは落ち着いた生活を送りたかった。将来的に指導者を目指すとしても、一呼吸置きたかったんです」

 とはいえ、引退直後は旬の人。連日、メディアからは引っ張りだこで一呼吸する間もなかった。しかしこれは「想定内」。「当時の仕事は、プロテニス選手としての役目の一つ。かなりハードなスケジュールではありましたが、近いうちに落ち着くとも考えていました。それに、今まで応援してくださった方々へ、お礼を言えるいい機会でしたから」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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