若手有望株がプロとして大成しなかった理由 元Jリーガーが秘める悔いとは
ユース時代から将来を嘱望された選手が、プロ入りしても伸び悩んでわずか数年でそのキャリアを閉じる――。Jリーグが抱える若手育成の課題だ。
プロ選手を目指すサッカー少年が長く現役生活を続けるために必要なこと
ユース時代から将来を嘱望された選手が、プロ入りしても伸び悩んでわずか数年でそのキャリアを閉じる――。Jリーグが抱える若手育成の課題だ。今回は、まさに同様の経験をした元Jリーガーに直撃し、当時、どのような問題点があったかを振り返ってもらった。
話を聞いたのは2001年~2003年まで横浜F・マリノスに所属した飯田紘孝さん。小学生の頃から横浜FM(日産)の下部組織に所属し、ユース時代にはU-16日本代表に選ばれた実績も持っている。167cmの体格ながら小気味よいドリブルと天性のサッカーセンスで中盤のアタッカーとして期待を一身に受けた。
03年から06年までチームを率いた岡田武史氏(現FC今治オーナー)が高く評価するほどのテクニシャンだったが、公式戦出場は2試合、わずか3年でプロとしてのキャリアを閉じた。
飯田さんは、プロとして味わった挫折をこう振り返る。
「今、冷静になって考えてみると、育成年代の道筋があまりにも順調にきてしまったことが良くなかったのだと思います。高3の夏にトップチーム昇格を伝えられたのですが、それ以降“サッカーをすることで、お金を稼いでいく”というプロとしての大前提の気持ちの切り替えができていませんでした」
育成時代、飯田さんは「純粋にサッカーを楽しむ」ことで全日本クラブユース選手権制覇などを経験したが、その当時からプロとしてのキャリアや指針をしっかりと描いていなかったという。