サッカー元日本代表、第二の人生は「農業×スポーツ」 地元長崎で始めた徳永悠平の挑戦
FC東京で経験した悔しい体験と地元・長崎で感じたサッカーの熱狂
18年間に渡ってJリーグでプレーした徳永氏。今も印象に残る試合について尋ねると、「一番に出るのはやっぱり自分がキャプテンをしていたシーズンで、初めてJ2に降格した試合です。この試合はやっぱり自分の中ですぐに出てきますね」とFC東京が初めてJ2に降格したシーズンを挙げた。
2010年12月4日、京都サンガとのアウェイ最終戦。0-2で敗戦し、J2降格が決まった。試合後、ピッチに膝をつき涙を流していたシーンは記憶にある人も多いだろう。それまでの徳永氏と言えば九州男児を地で行くようなイメージで、感情を表に出すのは想像できなかった。
「初めてキャプテンをやらせていただいて、そのシーズンもいつも自分がやっているサイドバックだけじゃなくて、ボランチや中盤でプレーする時間があって。そういう環境の変化があった年でもあり、また責任も非常にあったシーズンで、1年間本当に苦しんだ中で、何とかJ1残留だけを目標に頑張っていたんですけど。東京がJ1に上がって、J2に落ちたのは初めてで、本当になんとも言えない感情だったんです。でも……」
11年前の出来事を昨日のことのように語る言葉から、当事者しか分かり得ない降格の本当の重さがひしひしと伝わってきた。そして、こう続けた。
「本当にいろいろな厳しい経験をした中で、選手としても、人間としても、一回り成長できたと思いますし、その後のサッカー人生においてすごく良かったとは言えないですけど、とても大事な出来事だったのかなと。今振り返れば、そう思います」
Jリーグでさまざまな経験を積んで成長した徳永氏が、現役最後のクラブとして選んだのが、地元・長崎のクラブだった。在籍3シーズンはJ1からスタートして、またしてもJ2降格を味わっている。「いい結果が出せたとは思っていない」と語る徳永氏だが、プロスポーツがなかなか根付かないと言われていた長崎で、間違いなくサッカーの“熱狂”を生み出し、継続させた功労者の一人である。
「想像以上に熱を感じました。ちょうど長崎スタジアムシティプロジェクトも動き始めようとしていた時期だったので、チームが変わっていく状況だったり、どんどん環境が良くなっていく様子だったりと、すごくいい経験をさせてもらいました。それに僕自身も、家族含めて、たくさんの友人・知人の前でプレーできたことがすごく楽しかったですし、見てもらえたこともそうだし、ファン・サポーターの方に『帰ってきてくれてありがとう』と言ってもらえたのもうれしかった。地元でとても幸せな時間を過ごせたといいますか、やりがいのある3年間だったなと思っています」