クリケット転向の元DeNA内野手 高卒3年目の戦力外で考えた“二十歳なりの引き際”
日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、戦力外通告を受けて現役生活に終止符を打ち、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。
連載「Restart――戦力外通告からの再出発」第3回、山本武白志はクリケット選手に転向
日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、戦力外通告を受けて現役生活に終止符を打ち、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。
そんな彼らのセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「THE ANSWER」の連載「Restart――戦力外通告からの再出発」。第3回は横浜DeNAに育成ドラフト2位で入団し、現在はクリケット選手としてプレーする山本武白志(むさし)。
まだ20歳だった2018年10月に戦力外通告を受け、翌年クリケットへの転向を発表。地元の神奈川から栃木・佐野市に移住し、今では日本代表候補となっている。3年間のプロ野球生活から全く未知の競技に挑戦した経緯と、地元の神奈川から栃木・佐野市に移住してプロ選手を目指している今について語ってくれた。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)
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「周りからは(引退は)もったいない、早すぎるとは言われました。でも、自分の場合は『3年で結果が出なかったらクビ』と最初から言われて入って、結果が出なかった。じゃあどこが獲るの? という話。僕がその立場なら絶対、獲らない。このまま野球をやっても未来はないと思いました」
山本は、DeNAの球団事務所で戦力外通告を受けた当時の心境をこう語ってくれた。プロ3年目の2018年10月、まだ20歳の出来事だった。他球団でのプレーを模索する選択肢もあったが、野球はきっぱりと諦めてクリケット選手に転身。一体、どんな経緯があったのだろうか。
九州国際大付高では高校通算24本塁打。「4番・三塁」で出場した3年夏の甲子園では大阪偕星学園戦で2打席連続本塁打を放つなど、強打の内野手として脚光を浴びた。ロッテなどで選手、監督として活躍した山本功児氏の息子としても注目され、15年の育成ドラフト2位で入団した。
背番号は「101」。2軍の試合にしか出場できない育成選手から支配下契約を目指したが、1年目は60試合で打率.143。翌年は31試合で打率.054と苦しんだ。3年目には2軍戦51試合で打率.213と数字は向上したものの、1軍出場を果たすことなく戦力外となった。
それでも3年間に「悔いは一切ない」。ドラフト後、育成での入団は拒否し、大学、社会人に進んでプロ入りを目指すという選択肢も選べたが「何百回だろうと、そういう(プロ入りできる)状況に自分がいたら挑戦すると思う」。大きかったのは父の存在だ。
父・功児氏は16年、肝臓癌のため亡くなった。08年から体調を崩していたが、武白志の高校進学にあわせて家族全員で神奈川から福岡へ引っ越してサポート。医師からペースメーカーの埋め込みを勧められた際も、息子の練習に付き合えなくなるからという理由で断ったという。そんな父に、プロとなった姿を見せることで報いたかった。
「自分としては父親が生きている間にプロのユニホーム姿を見せたかった。独立などで1~2年待つというやり方もあったかも知れませんが、それをやっていたら間に合わないと思ったので」