25歳で戦力外、球団残留を断って 元DeNAドラ2“社長”の運命を変えた出会い
第2の人生へ前向き、後進には「会って話すのが一番早い」と助言
「プロ野球生活を長いものにしたかった」と語ったが、それ以上に前向きな思いがある。
「逆に早く終わって良かったのかな、とも思います。今、ここで区切りをつけて、新たなスタートを切った方がいいのかなと」
努力の末に叶えたプロ選手という夢は3年で終わった。でも、野球からは身体能力や稼ぎ以上に、大切なものを得ることができた。「当たり前のことを当たり前にしろと、人間形成の部分を学べたと思う。僕は指導者さん、親に感謝したい」。挨拶やコミュニケーション能力、社会で必要とされることは野球から身に着けてきた。人から応援されるありがたみも感じた。今度は自分が夢を応援する番だ。
戦力外となってユニホームを脱ぐ選手は、これからも出続ける。自身と同じ境遇になった時の助言として、最後にこう語ってくれた。
「(選手会の)セミナーに多くの選手に参加してもらえたらいいなと思う。会って話すのが一番早い。僕の中でもいいきっかけになったし、聞いて良かったなと思ったので。『野球をやりたい』とトライアウトを受ける方もいると思いますが、声がかからず終わってしまう人もいる。その後でもいい。僕もセカンドキャリア支援を今後やっていきたいと思いますし、直接会って話すのが一番かなと思います」
(終わり)
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)