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25歳で戦力外、球団残留を断って 元DeNAドラ2“社長”の運命を変えた出会い

1年目5月に先発デビューも右肩が…プロ3年間は故障との闘い

 しかし、故障との戦いはここから始まった。ドラフト後、明治神宮大会の直前に高熱を発症。チームが先に現地入りする中、回復後に自費で北海道から合流するも、静養の影響で投球フォームに微妙な狂いが生じた。準々決勝・日大戦では先発したが、3回途中4失点で敗退。「パフォーマンスも良くなく、焦りがありつつ入団してしまった」と振り返る。

 その後は日によって、右肩に軽い違和感が出ることもあったため、プロ1年目の春季キャンプは2軍スタート。ファームで3試合に登板し、5月3日の巨人戦(東京D)で初登板初先発を果たした。「ファームで投げさせてもらった間も、あまり状態は良くなかった。『違和感あるな』と、不安がある時にそのまま1軍に上げてもらったので、ベストを尽くそうとは思ったんですけど……」。坂本勇人、阿部慎之助から三振を奪うなど力投したが、5回途中3失点で初黒星。最初で最後の1軍マウンドだった。

 定期的に受診したが、1年をかけて右肩の状態は悪化。オフには育成選手契約を結んだ。年俸の変動はなく、ファームで2試合登板すれば支配下に戻すという、配慮を感じる契約だった。「僕に焦りがあったので、焦りなく治して戻ってきてほしいと。(背番号の)13番も、僕がいる間はずっと空けていてくれた。ありがたいお話です」

 迎えた2年目、春季キャンプで大きな異変を感じた。朝、起床すると右肩に強烈な痛みを感じたのだ。「限界が来てしまった」。やがて5メートルのキャッチボールも不可能に。かかりつけの医師から手術を勧められ、すぐに手術した。翌年には右肘も手術。メスを入れる前は、風呂で頭を洗う際にも痛みを感じるほどだったという。7月の実戦復帰を目指していたが「肘も肩も全然ダメで『復帰できない、厳しいな』と思ってしまった」。

 8月下旬にマネージャー、球団幹部と面談。実家で両親と相談するなど、自由に時間を使うことを許されると同時に「もし引退するというなら、セカンドキャリアとして球団でトレーナーをしないか」と勧められた。魅力的な提案だった。

「3年間リハビリだったので、痛みもわかるだろう、と。元プロ選手上がりのトレーナーがベイスターズにはいなかった。新しいお話だなと思ったし、8割方そちらに気持ちが動いていました」

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