25歳で「戦力外→社長」に 元DeNAドラ2右腕の今、異例の転身を遂げたワケ
資金繰りには一切困らず「銀行の融資とかは全く考えなかった」
とはいえ「野球しかやってこなかった」という本人からすると、未体験のことばかり。「全く別の業界、世界に飛び込む不安だったり、パソコンの使い方にしろ、ネット業界の言葉にしろ、わからないことだらけでした。苦戦しましたし、今でも不安なこともありますが、いろいろな方に支えられて成り立っています」。起業を支援しているのが、会計ソフトのサービスなどで知られるfreee株式会社だ。昨年11月にNPB選手会を経由して紹介を受け、「会社設立freee」のサービスにより、必要な手続きのサポートを受けている。
がらりと変わった生活に慣れるのにも必死だ。「(球団の)寮の時は『朝何時にご飯を食べないと罰金』とかがあったけど、それがなくなってしまって、今は何も決められていない。人生初の一人暮らしなので……自由なのはいいなと思うんですけど、今まで規則正しい生活をしてきたので、不安になりますね」と頭をかく。サイトが完成するまでの時間を有効活用するため、朝から勉強会、異業種交流会などに参加し、自己研鑽に励んでいる。
一方で、資金繰りの問題はなかった。「予算内でできるなという計算もあったし、銀行の融資とかは全く考えなかった」。DeNAとの契約金7000万円は、実家と自身の車の費用に充てた以外、手を付けなかった。東海大北海道時代はアルバイト禁止で月のお小遣いは約2万円。寮生活もプロが初めてだったため「いきなりプロになって金銭感覚が狂ってしまう」と危惧。契約金は銀行員の父に預け、年俸も毎月20万だけ自身の口座に振り込まれるようにして、残りは別の口座で父に管理を任せていた。
全幅の信頼を置いている父の教えで、今も大事にしていることがある。「プロ野球が終わってからの人生の方が絶対に長いから、人とのつながりを大切にしておけよ」。ドラフト指名を受けてから、会うたびに言われてきた言葉だ。3年間のプロ生活は、大部分が怪我との闘いだった。だからこそ「ずっと思っていたし、頭によぎっていた」。新入団選手発表会では、色紙に「謙虚」としたためた。父の金言を反映させたものだ。
「僕は人とのご縁で今後も人生は成り立っていくと思う。謙虚さは心の中で絶対に思っていること」