「僕はきっと『トゥーリオ』のままだった」 闘莉王の人生を変えたプロ3年目の選択
「だから、日本に残る決断ができた」―闘莉王の人生を変えた「2週間の我慢」
ただ、この「2週間の我慢」が結果的に闘莉王の人生を変えることになる。気持ちは後ろを向いていたが、3日目も4日目もグラウンドに足を進めた。すると、自然と親身になってサポートしてくれる人が現れた。移動をサポートしてくれるチームメートだったり、食事の世話をしてくれるクラブ関係者だったり。「彼らがいなければ、2週間でブラジルに帰っていたかもしれない」という。
「素晴らしい人たちに出会えて、友達となり、この人たちがいれば厳しい環境でもやっていけると思えたし、この人たちのためにやらなければいけない、と。今でもすごく大事にしている人たちです。そうして試合が始まれば、厳しい環境は変わらなくても、サッカーに向き合うことができた。ここまで来たら、失うものはない。だから、日本に残るという決断をすることができた」
水戸で闘莉王の才能が開花した。DFながら積極的に攻め上がる攻撃的CBの地位を確立し、このシーズンはJ2で10得点を記録。翌年、強豪・浦和に移籍し、スターダムにのし上がった。「あの時代がなければ、日本人になることはなかった」と振り返る。
「日本人になりたい、代表に入りたいという夢があったにも関わらず、その水戸の環境に驚きすぎて、帰ろうとするくらいの気持ちになった。でも、ああいう経験をさせてくれたからここまでこられたと思うし、帰っていれば、自分の小ささに負けていたかもしれない。ああいうところで踏ん張り、いろんな仲間に出会えたこと。本当に自分を変えてくれたのが、水戸の出来事だった」
闘莉王の人生を分けた「1/2」。日本残留か、ブラジル帰国か2つに1つで前者を取り、道を切り開いた。しかし、中高生世代も進路を選択する上で迷わずにできる決断の方が少ない。自身はキャリアにおいて、どんな軸をもって選択してきたのか。
「迷った時は人に相談する。特に両親。常に両親とはコミュニケーションを取ることは今も大切にしている。なぜって、自分の成功を一番願っているのは両親だから。ただ、決断するのは最後は自分。迷っても必ず自分で決断し、自分の心を信じて突っ走ることは今まで心掛けてきたこと。みんなの意見は違ったとしても最後は自分の信念。ミスしたら、自分を責めればいいだけだから」
ただ、日本は変化を恐れる文化が根強い。失敗を恐れて挑戦できず、自分を主張できなかったり、周りに流されたりすることもある。そんな国民性について理解しながら「後々後悔することだと思う」と言い、“闘莉王節”で子供たちにゲキを送る。
「自分がやりたい『これだ』と思うところに行かないと。自分のプレースタイルもそう。最初は守るだけのDFから、攻めに出ていくDFになった。あの時、みんなの意見ばかり聞いていたら、攻撃的なプレーは出せなかったかもしれない。でも、みんなの意見が自分と違ったとしても結果で証明すればいいだけの話。その一歩目を踏み出せた勇気が、自分のスタイルを確立させてくれた。
人生もそうだったと思う。(中学卒業後に)日本に来る時も、お母さんは『反対』、お父さんは『行ってこい』。結局、どっちの意見を聞いても『50:50』だった時、最後の最後に求められるのが、自分の決断力。勇気をもってやるだけだと思うし、失敗してももう一回やり直せばいいだけ。子供たちにとっては少し難しい話かもしれないけど、自分の心を信じることがベストだと思う」