41歳の純粋な夢 現役最年長ランカーが戦う理由「世界100位切るなんてやんちゃすぎ」
“口だけ達者”にはならないために「自己ベストは切りたい」
――ダブルスパートナーだったインド選手から大会直前にドタキャンされたこともある。
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「しょっちゅうですね。ビシューム・バルダン選手です。もうお金がないと言い出して。インドは州ごとにお金が出るんですよね。要は日本でいう国体のよう形。そこから止められたと言うんですよ。それで『俺は遠征に行けない』と」
――優勝すればグランドスラムに初出場できるという大会もキャンセルされた。
「そうなんです。12月初めです。優勝したら全豪オープンの本戦から出られるという中国の大会の2週間前。僕は去年、別の人と組んで出たんですよ。決勝まで行って地元の中国選手にやられた。今年ももう一回出たかったので、凄いピーキングをしたんです。そしたら、バルダンは南アジア大会の出場選手に選ばれたと。金メダルを獲ったら報奨金で100万円もらえるらしく……。僕は全然ネガティブにならなかった。なぜかというと、そいつは家族もいるし、お金がないんですよ。どうぞ行ってくださいと」
――世界ランクを上げるには、試合に出続けないといけない。
「出続けて、ダブルスならお互いのランキングを上げてグランドスラムに出る。お互いのランキングを足さないといけないんです。その時のランキングで。僕が177位、彼(バルダン)が200位ちょっとなんですよ。足して400位以下です。でも、たまに(出場資格の)カットが300位や350位以下になると出られなくなってしまう」
――グランドスラムに出場するのは何位くらいまで?
「2人のランキングを足して、150位から200位の間にいないとダメですね。200位では今は入れないと思います。グランドスラムはシングルスでウィンブルドンの予選に出たことがありますが、ダブルスはありません。40代で(本戦の)初出場はたぶんいないと思います。そこまでやるバカはいないですから。普通は諦めるでしょ(笑)」
――転戦すると年間経費はどれくらいかかる。
「飛行機代だけでも、ざっと300から500万円くらいはかかると思います。それにトレーナー、コーチを雇ったら2から3倍くらいいくと思います。ダブルスの賞金は今のランキングだと、非常に低いので、もう賞金では賄えないです。だから、所属スポンサー、道具メーカーとの契約料やオフシーズンのイベントレッスンやエキシビションマッチなどが大きい。余裕があれば、コーチ、トレーナーに帯同してもらって、余裕がなかったら自分だけで行く」
――モチベーションは。
「僕が20代前半の時は、特に周りから期待されてもいなくスポンサーなんてなかった。貧乏だったので、その時はテニスで食えていけばいいと思っていたんですよ。そして、最初についたスポンサーは月6万。もうバイトかっていう話だった。そのくらいだったので、20代前半は国内の賞金大会に出たりして、まずは食っていくことを目指していたんです。
そこで少し結果が出てから、グランドスラムとか目標が出てきた。今はそこ(金銭面)をクリアしているので、本当に純粋にグランドスラムやトップハンドレッド(世界ランク100位以内)という目標があるので、そちらにフォーカスしたい。
だから目標が変わってきている。普通は20代で上を目指して、ほとんどの人は家族ができる。飯を食えなかったり、怪我したりで引退して、セカンドキャリアに進む。僕は逆。今、凄く充実していて、時にムキにトレーニングや練習、強行遠征をしたり。ダメだったら辞める覚悟もある。だから、今も固定パートナーが決まっていないから、そこは早く決めないといけないし。日本人ではいないから外国人でつけるしかない。今はオンコートよりオフコートの方が大変です」
――将来的な最大の夢や目標は。
「ATPという世界統一のランキング(アフリカも南米も全てそこで統一されている)で早く100位を切りたいです。40代で世界の100位を切るなんてやんちゃすぎるっしょ! かっこいいのか、バカなのか分かりませんが、とにかくいけると信じています。
ダブルスは130位が僕の最高なんですよ。こうやっていろいろ言っているけど、結果が出ないと『松井、ただ言ってるだけでしょ。自分に言い聞かせているだけでしょ』となるじゃないですか。だから、先ずは130位の自己ベストは切りたいです。本当に41、2歳で切ったら結果じゃないですか。『松井は言ってるだけじゃない』という形にしたいですね」
◇松井俊英(まつい・としひで)
1978年4月19日、千葉県柏市生まれ。41歳。私立八千代松蔭中学卒業後、カナダ・トロントのノースビュー・ハイツ・セカンダリースクールで単身語学留学を経て、ブリガム・ヤング大ハワイ校卒業した国際派。2000年にプロ転向後、06年、10年にデビス杯日本代表に選出。世界46か国以上を転戦し、2019年には41歳で現役選手として世界最年長のATPランカーとなった。20年にはATPカップの日本代表にも選出されるなど実力は健在。オンラインサロンも展開中。公式サイトをリニューアル。
公式サイトは、https://toshihide-matsui.jp/
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)