谷田成吾の野球note「なぜ『由伸2世』といわれた私が26歳で球団代表になったのか」
なぜ、球団代表に就任することになったのか
転機となったのは、新しい仕事にも慣れてきた8月末でした。都内の喫茶店で球団オーナーに言われました。「球団の存続のために一緒に取り組んでくれないか」と。今までオーナーとは、球団や日本の独立リーグがどうすれば良くなるのかを議論したことはありましたが、実際に自分が飛び込み、改革に乗り出すとは思ってもいなかったこと。とても驚いたことを覚えています。
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球団代表というのは、責任のある役職です。ましてや、赤字が続いている球団。これまでと同じことだけをしていては、いずれ球団がなくなります。自らで考え、ファンやスポンサーを増やす新しい取り組みを行い、成功させることが必要。赤字ゆえの「失敗できない」というプレッシャーもあるだろうということは想像に容易かったです。
要請を受けてから「これまで考えてきた、球団がより良くなる方法を実現したい」という気持ちと「オーナーの使命に応えられるのか」「思い描いていたキャリアとは違うが良いのか」という気持ちの間で激しく葛藤しました。アドバイスを頂いた方の中には「独立リーグは市場として伸びないのではないか」と仰る方も多くいましたし、正直、気持ちは何度も揺れ動きました。
それでも、就任を決断したのは、徳島インディゴソックスという自分にとっても大切な場所をこれからもずっと残る場所にしたい気持ちと、かつての自分と同じようにプロ野球選手を目指す選手たちのためにできることがあると思えたからです。
一緒に野球に取り組んできた同世代の存在も刺激になっていました。特に、大学時代にチームメートだった巨人・山本泰寛選手、日本ハム・横尾俊建選手の活躍はいつもチェックしています。一方で、このオフにはプロや社会人で同じ大卒4年目の世代でクビになる選手もいて、身近だった存在が新たな道を踏み出している時期でもありました。
野球界以外の友人も同様です。大学の同級生では大企業で大きなプロジェクトを任せられている人もいれば、すでに起業して経営者として活躍し始めている人もいます。それまでの視座の高さ、思考の深さによって差が出始めている時期に感じます。そうした中で社会人2年目になる私に貴重な機会をもらい、チャレンジしたいとより一層、思わされました。
不安は当然あります。昨年まで野球をしていた26歳の若輩者に球団代表が務まるのか、懐疑的な目があることも理解しています。しかし、そんな周囲の見方も受け入れ、徳島インディゴソックスを「ずっと続く、より多くの人に愛される球団にする」という目標のために全力を注ぐ気持ちです。