「がっかり」から始まったJリーグ人生 元セレソン名手を磨いた日本サッカー
「ちょっとがっかり」のオファーは一変、認めた日本サッカー「どこを倒しても不思議はない」
「大喜びしたよ。バルセロナかな、ナポリかな、などと夢見心地でオファーが来るのを楽しみにしていたんだ。ところが、現実にやって来たのは横浜フリューゲルスのスカウトだった。さすがにちょっとがっかりしたよ。神父さんが他の夢を見てくれるのを待とうかと思ったくらいだ」
しかし、実際に来日してJリーグでプレーをするようになると、家族もすっかり日本を気に入った。
「セレソンの監督は、その時良い状態の選手を選んでいく。そして、良いコンディションを保っている選手というのは、全ての面で恵まれた環境でプレーをしているものだ」
守備的な役割をこなしてきたサンパイオの得点能力が磨かれたのも、日本でプレーしたからだと言う。
「日本のチームでは外国人に決定権をゆだねるケースが多かった。むしろ自由に攻め上がることを求められたんだ。基本的にボランチの仕事はディフェンスラインの前を守ることなので、相手も攻撃に出てくるとは考えにくい、少なくとも中盤ではマークされても、前線まで突破していけばノーマークになる。当時は日本代表の山口素弘と、どちらがたくさんゴールするか競争していた」
フランス・ワールドカップを終えると、一気に評価が高まり、様々なオファーが殺到した。しかし、一度はスペイン(デポルティーボ)に移籍するが、2002年に再び日本(柏レイソル、その後サンフレッチェ広島に移籍)に戻ってきた。
「僕がセレソン時代に日本代表と対戦した時(1995年)は、5-1で勝った。でも、当時から日本の選手たちはテクニックも悪くないし、潜在的には飛躍的に伸びていく可能性を持っていた。もう日本も組織力の優秀さを示せれば、どこを倒しても不思議はないよ」
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加部究●文 text by Kiwamu Kabe