政治に翻弄されたサッカー人生 元Jリーグ監督アルディレスが歩んだ数奇な運命
アルディレスが初めてアルゼンチン代表に選ばれたのが、その3年前のこと。そして翌3月、クーデターが起きて、アルゼンチンは軍事政権に移行する。冒頭の言葉の通り、アルゼンチンでサッカーは、そのまま国民のプライドと同等の意味を持つ。しかも軍事政権が誕生したため、地元開催の大会は優勝が絶対の命題となった。
アルディレスは軍事政権移行で“絶対命題”を背負う中、地元開催のW杯で優勝
「アルゼンチンでサッカーは決してNO1のスポーツではない。唯一のスポーツなんだ」――オズワルド・アルディレス
1978年、アルゼンチンで初めてワールドカップが開催された。
アルディレスが初めてアルゼンチン代表に選ばれたのが、その3年前のこと。そして翌3月、クーデターが起きて、アルゼンチンは軍事政権に移行する。冒頭の言葉の通り、アルゼンチンでサッカーは、そのまま国民のプライドと同等の意味を持つ。しかも軍事政権が誕生したため、地元開催の大会は優勝が絶対の命題となった。
「代表チームが勝てば、政権の評価が高まる。だから代表チームの勝利は最優先事項だった。移動の飛行機、滞在するホテルや食事は、すべて最高級のものが用意された。ワールドカップが開催された1978年になると、代表チームはずっと合宿続きだったので、メンバーは誰もリーグ戦でプレーしていない。私が所属するウラカンは、1976年にリーグ制覇をしているが、代表に5人も取られていたので、78年は2部落ち寸前だった」
このワールドカップでアルゼンチン代表選手たちは、他人の人生どころか、政権も含めて国民すべての命運を背負って戦う重圧を感じていたに違いない。
「優勝した後は、(ホルヘ・ラファエル・)ビデラ大統領が開催するレセプションに招かれ、メンバー全員に銀製のシガレットケースがプレゼントされた。とてもサッカー選手にふさわしい贈り物だとは思えなかったけどね」