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いつも飢えていた Bリーグ新人賞、岡田侑大という“想像を超える男”の一直線人生

プロとしてのはじまりの1年について語った岡田侑大【写真:山田智子】
プロとしてのはじまりの1年について語った岡田侑大【写真:山田智子】

有言実行を重ね、世代を代表する選手に

 バスケットボールに対するハングリーな姿勢は、子どもの頃から変わらない。岡田は小学校4年生の時、バスケットボール選手だった父の影響でバスケを始めた。

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 高校は地元・京都の東山に進学。日本代表選手を多数輩出してきた全国屈指の強豪校・洛南ではなく東山を選んだのは、「伝統を守っていくより壊したいというか、洛南の伝統を破るチームを作りたかった」からだ。

 “超攻撃型”バスケの東山で、オフェンス力を開花させた岡田は、2年生の時にインターハイの京都府予選で44連覇中の洛南に勝利し、目標を完遂。翌年はキャプテンとしてチームを率い、インターハイ、ウインターカップで準優勝する。ウインターカップでは得点王に輝いたが、「高校は悔しさの方が大きい。(決勝で)福岡第一に負けたことで、『大学に行ってやり返す』という大きなモチベーションになりました」と満足することはなかった。

 拓大でも1年時から試合に出場し、31年ぶりの関東大学リーグ制覇に貢献。1対1を主体とするスタイルの中で1on1の技術に磨きをかけ、2年になるとさらに得点力が増した。

「1年生の頃はまだ『調子良かったら点数が取れるかな』って感じで、自分では今でもそんなに活躍できてないって思ってるんですが、2年の時は『いつでも点数取れる』という自信がありました」

 新人戦では28年ぶりに優勝、リーグ戦第6節の白鴎大学戦では一人で58点を挙げるなど、得点王争いを独走する。

 この年の8月、2018年度男子U-22日本代表チームに選出された岡田は「2018 アジア・パシフィック大学バスケットボールチャレンジ」に出場。フィリピン、米国、ロシア、チャイニーズ・タイペイ、韓国と対戦し、2勝3敗で大会を終えた。とりわけ58-104で大敗した米国との一戦は、岡田の心に強い危機感を残した。そんな中、岡田とともに拓大を引っ張る2大エースの一人、ドゥドゥが米国へ挑戦すると大学を去る。岡田はプロ転向の意思を固めた。

「米国のNCAAディビジョン1の選手にボコボコにされて、このままじゃダメだと刺激を受けました。選手として生きていける時間はそんなに長くない。30代の半ばか、後半くらいまで。それなら同年代より2年早くプロに挑戦して、好きなバスケットでできるところまでチャレンジしたい。今は日本のA代表のレベルが高いので、Bリーグに行ってA代表の選手と60試合戦えればレベルアップできると確信がありました」

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山田 智子

愛知県名古屋市生まれ。公益財団法人日本サッカー協会に勤務し、2011 FIFA女子ワールドカップにも帯同。その後、フリーランスのスポーツライターに転身し、東海地方を中心に、サッカー、バスケットボール、フィギュアスケートなどを題材にしたインタビュー記事の執筆を行う。

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