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「森保さんも泣くじゃないですか」 サッカー→ハンド転向、異色48歳が世界へ持ち込む日本の誇り【東京デフリンピック】

48歳、若い選手へかける「当たり前じゃないよ」の言葉

 いろいろな人の協力や関係者の努力で、少しずつ環境が改善されていった。日本協会に認められ、A代表と同じユニホームになったのが2年前。「最初に着た時は本当にうれしかった。頑張ってきて良かったと。環境がよくなってきたのと同じころに代表は離れましたけど」。サッカーとフットサル合わせて20年を超える日本代表生活を思い返すように話した。

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 スタート時は苦労すると思って臨んだデフハンドボール日本代表だったが、練習コートはA代表と同じトレセンの専用施設を使用。合宿や遠征には日本協会のスタッフがつき、サポートを受けることができる。この日発表されたユニホームは日本協会オフィシャルパートナーのヒュンメルが制作した特別モデル。他の多くのデフ競技と比べても環境は圧倒的にいい。

「みんな初めての日本代表だし、初めてのデフリンピックだから、この素晴らしい状況も普通だと思っているんです」。最年長の船越が若い選手にかけるのは「当たり前じゃないよ」の言葉。「素晴らしい環境を与えられているからこそ、プレーで恩返ししなければならない。覚悟を持って戦わなければならない。そこは、何度も繰り返し言っています」と、少しだけ表情を厳しくして話した。

 48歳、肉体的には厳しいが「言葉だけではなく、身体でも伝えないと。アップから全力です。苦しいけれど、自分にムチ打ってやっていますよ」と言った。「1人では勝てない。みんなの力、スタッフや関係者の力、応援してくれる人の力があってこそ勝てる。チームの目標は1勝ですけれど、僕は優勝したい。デフハンドボールを変えたい」と言い切る。

 夢はデフハンドボールを知ってもらうこと、競技として成長すること。サッカーで培ってきた経験をハンドボールで活かし、アスリートの立場でデフスポーツを発展させたい思いもある。「東京でやる大会だし、デフリンピックが楽しみです」。開幕まで2週間を切った3度目の大舞台に向けて、船越は笑顔で言った。(荻島弘一)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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