「今、僕はここにいるよ」 引きこもりを経て“フツーの青年”が世界記録を出すまで
リオのスタートラインで思った「今、僕はここにいるよ」の想い
「中学、高校と一緒にいた友達の親が『友祈君、障がい負って可哀そうだね』と思って見ていたり、両親も『うちの子は大丈夫なんだろうか』と思って見ていたり……。そんなものすべてが、パラリンピックのスタートラインに立つことによって、僕は今ここにいるよって証明できる気がしたんです」
“何者でもない自分”に別れを告げる号砲とともに「佐藤友祈」は駆けた。400メートル、1500メートルで銀メダルを獲得。そして、2年後の2018年7月1日、一つの金字塔を打ち立てる。関東パラ陸上選手権、400メートルで55秒13、1500メートルで3分25秒08の世界記録を樹立。リオ大会で敗れたレイモンド・マーティン(米国)の従来の記録をともに塗り替えてみせた。
世界一、心地良い風の音を聞いた。
「従来の世界記録はアメリカのレイモンド・マーティンという選手が持っていて、彼の記録を目指して、並ぶ、追い越すというのは目標にしていた。ただ、その目標タイムが僕のタイムに切り替わったという風な認識でいるだけ。海外選手もそのタイムを目標に合わせてくるので、僕はさらにその上を目指していけるようにという考えでいます」
そう、事もなげに言った顔は、一流アスリートのそれと言っていい。今年1月には800メートル、5000メートルでも世界記録を樹立。立場は人を変える。今はパラスポーツはもちろん、障がい者の未来を描く。「例えば、僕はテーマパーク好きだけど、車いすだから、歩けないからと断られることが多い。そういうのも僕からしたら、面倒というか……」と言い、こう続ける。
「車いすから椅子に移ることも問題なくても、介助されないと動けないと一括りにされてしまう。パラリンピックをきっかけに国民の人たちが触れる機会が増え、車いすでもこれだけ動けるんだという見方に変わってほしい。それが、ゆくゆくは『ご自身でここまでできるんなら、どうぞ』という世界になっていく。それこそ“バリア”がなくなるのかなと思うんです」
引きこもり生活から、たった6年余りで「フツーの青年」は世界記録保持者となり、大きな未来を背負って、東京パラリンピックの金メダルを目指す立場となった。そんな激流のような競技人生で得た気付きは何だったのか。ストレートに聞くと、ちょっと間を置いて言った。「やっぱり、思い立ったら即行動、ですかね」――。
「僕の競技人生で培っているのは、思ったことをすべて素直に向き合うということ。競技を始める時、資金が必要になり、すぐに静岡の会社に就職した。松永さんと知り合って、友達もいないけど、『よっしゃ、岡山行くぞ』って。思い立ったことに対して、やるか、やらないかを決断して行動しての繰り返し。それがなかったら、ここまで来られなかったので」
◇佐藤 友祈(さとう・ともき)
1989年9月8日、静岡県藤枝市出身。29歳。20歳で脊髄炎が原因で車いす生活に。12年ロンドンパラリンピックを見て同年11月から競技を開始。競技を始めて2年目に大分国際車いすマラソン大会「ハーフ」でクラス優勝。15年IPC陸上世界選手権で400メートル金メダル、翌年のリオデジャネイロパラリンピックで400メートル、1500メートルで銀メダルを獲得。17年には世界パラ陸上選手権で400メートル、1500メートル2冠を達成。18年関東パラ陸上選手権で記録した400メートル55秒13、1500メートル3分25秒08はともに世界記録。19年1月にサマーダウンアンダー2019で800メートル1分51秒57、5000メートルで12分27秒54の世界記録を樹立。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)