“控えGK”のメンタル術 元日本代表が語る心構えとチームにもたらす影響
「負けたくない」気持ちがもたらす好影響
土肥氏は1992年に大津高から日立製作所(現・柏レイソル)に入団。2000年に加入したFC東京で長年守護神を務め、08年に東京ヴェルディ1969に移籍後も正GKの座を守った。2012年シーズン終了後に現役を引退し、育成組織の指導者を経た後、14年シーズンの途中から東京VのGKコーチに就任している。また日本代表ではジーコ元監督から絶大な信頼を手にし、04年アジアカップで優勝を経験。そして06年ドイツ・ワールドカップ日本代表にも名を連ねた。ただし、日本代表でプレーする機会はほとんど訪れず、その立ち位置はほぼ「第3GK」という立場だった。
土肥氏は、日本代表における自身の経験を振り返りながら、控えGKの心構えについて次のように話している。
「控えGKは数少ないチャンスの中で100%以上の力を出して、信頼を勝ち取らなければならないんです。序列に対して特別な思いは持たずに、平常心で日々のトレーニングに臨んでいました。その中
でナラ(楢崎)や(川口)能活と一緒に練習する時は、常に『絶対に負けたくない』と思っていましたから」
サブと言えども、もちろんポジションを争うレギュラーへの遠慮は禁物だ。ジーコジャパンでは当時、楢崎正剛(現・名古屋グランパス)、川口能活(現・SC相模原)というふたりの絶対的な守護神がいた。土肥氏は日本代表として4試合出場の経験を持つが、当時の立ち位置は「3番手」と言えるもの。しかし、代表で過ごす日々の中で、自分自身を3番手と決めつけることはあえてしなかったという。