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「正直、慶應も大学も行きたくなくて」 進学校出身、批判に晒され…W杯経験した今も39歳現役に拘る理由

高校卒業後、本当は大学にも慶應にも行きたくなかったという【写真:吉田宏】
高校卒業後、本当は大学にも慶應にも行きたくなかったという【写真:吉田宏】

北九州の進学校出身「正直、慶應にも大学にも行きたくなかった」

 山田章仁という存在を強く認識したのは、慶應義塾大監督だった故上田昭夫さんからの話を聞いた時だった。

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「山田というすごいWTBがウチ(慶應)に来てくれる」

 高校日本代表合宿に参加した小倉高の3年生について話していた故人の嬉々とした笑顔を思い出す。北九州の進学校出身の山田だが「正直、慶應にも大学にも行きたくなかった」と明かしている。横浜市の慶大日吉グラウンドにやって来てからも、卒業後のプロアスリートとしてのキャリアを思い描きながら部活に打ち込んでいた。山田にとっては、アスリートとしてどう自分を鍛え、最大限のパフォーマンスを引き出すために体を管理していくかが大きなテーマだった。そのため、伝統校、卒業後の社会人ラグビーも含めた「組織の勝利が優先」という日本の体育会的な風土の中では摩擦も少なくはなかった。

「当時は批判もいっぱい貰いました。チームと違うトレーニングをするなんて、今では結構当たり前のことですけれど、あの頃はそんなこと勝手にやるなという声もありました。怪我をした時も、自分が慎重にやりたいと考えても、チーム側からはもう出来るだろうと、理解してもらえないこともありました。でも、あの頃の僕のスタンスは、いまでもあまり変わっていない」

 2015年、19年W杯での日本代表チームの躍進や、国内リーグもプロ化へと舵を切り始めたことを追い風に、日本のラグビーがようやく山田の考える姿に近づいてきたようにもみえる。東京での個人トレーニングでも、信頼を寄せるトレーナーの下で独自のプログラムを組み、インタビュー後のセッションでは、骨盤をしっかりと前方に押し出しながら、体幹を鍛え、自分の足腰の稼働領域を高めるなど、トライゲッターとして戦える体作りに取り組んでいた。

「例えば体を端から端まで使えるようにするメニューなどに取り組んでいます。いままで鍛えてきたものを、しっかりとパフォーマンス出来るようにしたいですからね。脳と体を繋げるようなメニューかな。右側に右手を上げたい時にすっと上げられるようなことです」

 個人で自分自身の能力を伸ばすためのプログラムに取り組んできたのが山田らしい。誰かにやらされるのではなく、自分で課題を見つけて、その解決方法を見つけ出しながら、トップアスリートとして走り続けてきた。

「トレーニング内容とかは、戦術等によって自分の体の使い方が違う。なので、そこでのマイナーチェンジをしたりしています。日本代表の戦術だって、随分変化しているでしょ。体もいろいろトランスフォームしないと活躍出来ないと思います。それが出来る選手が長くプレーできるんじゃないかな。日本人の、そういう痒いところに手が届くような選手になることが、世界でプライスレスになっていくんじゃないかなと思うんです」

 所属する九州KVは1951年創部という伝統を誇るチームだが、昨季は昇格したディビジョン2で2勝8敗の6チーム中5位。九州を拠点とする下位リーグのチームでプレーする中でも、日本代表時代と変わらない、世界の中でどう日本選手としての、そして山田章仁という一人のアスリートとしての独自性、優位性を持てるかを追求している。いつも笑顔が絶えず、冗談めいた話も多い山田だが、田中史朗や堀江翔太ら日本ラグビーのフロンティアたちと変わらない、自分が成長することへの投資を惜しまない貪欲さ、前向きな姿勢は39歳のいまも変わらない。

「フィールドの上ではもちろんですが、僕もホンダ、パナ、NTT、そして海外のチームにも行かせてもらって、組織の中での様々な人たちとの関わり方とかを経験してきた。国籍を問わず多様な価値観を持った選手たちとラグビーを通して繋がりも出来た。そんな経験は、今も存分に生きています。80分間のプレーの中でのスキルなどでもそうですし、最初に話した“楽しい”という面でも同じなんです。今までに会ったことのない人と会うのって楽しいじゃないですか。そういう人の話を聞くのと同時に、今までやったことがないプレーを見せてもくれる。彼が経験してきた話や時間の過ごし方とかも持っている。そんな人たちと、ラグビーという一本の軸がある関係性の中で時間を共有するのって、むちゃくちゃ楽しいんです」

 39歳という年齢でも現役に拘る理由と共に山田自身の言葉で聞きたかったのは、何故九州での挑戦を選んだのかだった。もちろん、自分自身の故郷でプレーしたいという思いは多くの選手が抱くだろう。だが、これまでプレーしてきたチームの大半がプロを容認してきた一方で、3年目の新天地は山田のような一部のプロ選手は受け入れるものの社員選手をベースにチームを構成している。それでも九州KVでのプレーを決めた理由に、山田は1つのキーワードを挙げている。

「元々グローバルな選手になりたいという気持ちがあったんです。でも、そこから経験を積むことでグローカルという言葉になってくるんです」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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