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「ラグビーが野球に並ぶくらい有名に」 最強野武士軍団、エディージャパン…日本ラグビーの“これから”に託す思い

前身の三洋電機時代から15シーズンに渡りワイルドナイツの中心選手として活躍して、昨季でジャージーを脱いだ堀江翔太。このレジェンドの引退で、チーム内には三洋電機のジャージーに袖を通した選手はいなくなった。堀江のラグビー選手としての足跡は、そのままワイルドナイツが国内最強へと登り詰める道程と時を同じくしている。最近2シーズンは優勝候補最右翼とされながら決勝で苦杯を喫し、堀江自身も花道を飾れなかったが、真紅からブルーへと変わった“野武士軍団”のジャージーにどんな思いを抱いているのか、そして新時代の野武士たち、日本ラグビーに託す思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)

ワイルドナイツの中心として15季に渡り活躍した堀江翔太【写真:Getty Images】
ワイルドナイツの中心として15季に渡り活躍した堀江翔太【写真:Getty Images】

堀江翔太インタビュー後編 これまでのラグビー人生と日本ラグビーのこれから

 前身の三洋電機時代から15シーズンに渡りワイルドナイツの中心選手として活躍して、昨季でジャージーを脱いだ堀江翔太。このレジェンドの引退で、チーム内には三洋電機のジャージーに袖を通した選手はいなくなった。堀江のラグビー選手としての足跡は、そのままワイルドナイツが国内最強へと登り詰める道程と時を同じくしている。最近2シーズンは優勝候補最右翼とされながら決勝で苦杯を喫し、堀江自身も花道を飾れなかったが、真紅からブルーへと変わった“野武士軍団”のジャージーにどんな思いを抱いているのか、そして新時代の野武士たち、日本ラグビーに託す思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)

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 スポーツ選手には、個人的な浮き沈みもあれば、チーム自体の好不調の影響を受けることもある。状況次第でチームの方針とぶつかることも少なくはない。だが、ワイルドナイツでの長い現役生活の中で、堀江はチームを離れたい、嫌だと思ったことはなかったという。

「パナソニックでは、なかったですね。何もかんも居心地良すぎたくらい。いろいろ意見も出し合えていたのでね。常にパフォーマンス出すために自分も犠牲を払ってトレーニングをしたり、試合をしたりというのもやったからこそ、チームも評価をしてくれてたと思います。なので、ここを出たいと思ったことは全然ないですね」

 何度も覇権を掴んだジャージーを脱いだいま振り返っても感謝の思いが強いのは、堀江自身が決めた海外挑戦での、チームの理解と支援が大きく影響している。

「いろいろ挑戦させてもらいましたよ。オタゴに行く時もそうですし、レベルズもそう。レベルズでは、こっち(埼玉)と契約をしながら行けたので、収入とかサポートという部分ですごく手助けしてもらったと思っています。前例のないことだったので、なおさら有難いなと感じましたね」

 入団とほぼ同時に、日本代表も含めて主力選手として活躍してきた堀江だが、チームは戦力の低下に成り兼ねない海外挑戦も前向きに受け入れてきた。2012年には、ニュージーランド(NZ)のスーパーラグビーチーム・ハイランダーズを運営するオタゴ協会と契約して、同地域代表(オタゴ)として国内選手権でプレーすると、翌2013年にはオーストラリアのレベルズと契約を結び、日本選手初のスーパーラグビープレーヤーが誕生した。

 同時にハイランダーズ入りした田中史朗の2人が日本選手の新たな道を切り開き、松島幸太朗(東京SG)、稲垣啓太(埼玉WK)らが続々と海外挑戦へと旅立ったことが、日本代表のその後の躍進に繋がったのは言うまでもない。堀江にとっては、既に家族を持つなど大学卒業直後の単身のNZ挑戦とは異なる環境の中で、所属チームの理解は有り難かった。

 埼玉WKにとっても、選手の海外挑戦は“慈善事業”ではなかった。堀江、田中という代表でも活躍する選手を欠くリスクはあったが、それ以上に、この2人のようなトップ選手が在籍して、海外挑戦にも前向きというチームイメージを発信することのメリットを考えていた。チームによっては海外挑戦に消極的になる可能性はあったが、埼玉WKの独自の視点、価値観と先見性が、堀江の可能性を押し広げた。

 常に国内トップクラスの実力を保持し続けてきた埼玉WKだが、堀江自身は、このチームの個性、そして魅力をこう考えている。

「スタイル自体はかなり総合的なラグビーをするので、僕にはそれも良かった。FWだけとかじゃないし、アタックに関しても、誰でもパスやランニングを使いながら戦うラグビーをやってきた。ディフェンスもアタック同様に大切なものという考えも持っていた。まさにザ・ラグビーという感じのチームですよ」

 ファンなら良く知る、スクラムやラインアウトに止まらず、多彩なパス、キックといった個人技でも魅せる堀江だが、埼玉WKがポジションやセオリーに捉われず、自由な発想でプレーすることにも柔軟性を持ったチームだったことが成長を促した。

「このチームにおったからこそ、他のチームでプレーしたときに頭を柔軟に働かすことが出来たんだと思いますし、もちろん過去に色々な経験したからこそ、日本代表に行っても、どんなプレーをしたらこのチームが生きるんやというふうに頭を柔らかく出来た。こういう柔軟性も、ここ(埼玉WK)のおかげかなと思っています。どこのチームに行っても、その経験が生きるやろうなと僕は思います。他の選手たちにも、そうなってほしいなと思っています。埼玉に来たら、もしその後に他のチームへ移籍したとしても、自分の経験や頭の柔らかさを使えばいいプレーが出来るはずだし、皆にそういうプレーをしてほしいんです」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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