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春夏連覇の横浜高とも「重みが違った」 松坂世代の名コーチャーが驚く日産野球「そんなところまで…」

大量250個に及ぶトロフィーを発掘した日産OBたち。1球にこだわる野球が再スタートする【写真:羽鳥慶太】
大量250個に及ぶトロフィーを発掘した日産OBたち。1球にこだわる野球が再スタートする【写真:羽鳥慶太】

強い理由はここにあった「本当に1球1球ミーティングを…」

 入社1年目、チームは激戦区の神奈川予選で敗れ、都市対抗本戦への出場を逃してしまう。そこで記憶に残っているミーティングがあった。

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「本当に1球1球ミーティングするんです。なんでこう投げたのか、こう動いたのか。マネジャーとしては『なんでこういう手配をしたのか』というところまで。なぜ、なぜと分析して、突き詰めるんです。そんなところまで……と驚きましたよ」

 鳥海さんが高校時代にプレーした横浜高も、小倉清一郎部長を中心にプレーの細かさには定評があった。相手校を徹底的に分析し、勝ちに結びつけていた。ただ鳥海さんに言わせれば、日産のそれは「重みが違った」という。

「野球でメシを食うという意味では、日産の方がはるかに重みがありました。高校野球も負けたら終わりのように思っていましたけど、チームは続いていきます。でも日産では、負けたら部がなくなる可能性があると思ってやっていましたから」。実際に2000年代の日産野球部は、負けたら部が消えてしまうという危機感が強かった。会社で進んでいた、カルロス・ゴーン氏による“コストカット”が社会的にも注目されていたころだ。

 この宝探しでは、実に250個におよぶトロフィーや優勝旗、記念写真が発掘された。当時のマネジャーがつけていたスコアブックには、先攻後攻を決める試合前のジャンケンで何を出したか、勝ち負けはどうだったかまでが記されていた。勝ち負けの理由を徹底的に突き詰める日産野球の痕跡だ。当時を知る伊藤さんが監督となる新たなチームにも、その魂は確実に受け継がれる。

「鳥海」と大書されたプラカードも発掘された。スタンドの応援団が、応援の声出し指示をするのに使っていたものだ。軍港の街、横須賀にちなんだ応援道具のデッキブラシも出てきた。笑いながらプラカードを担いだ鳥海さんは「チームがなくなってからも、仲間がたくさんできたことは本当に仕事に役に立ちました」。神奈川のアマ球界にまた、伝統が刻まれていく。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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