スポーツ王国が支えたBリーグ広島の下剋上 資金難克服した広島ならではの「組織力」と「営業力」
「スポーツ王国」ならではの営業努力と強化策
「スポーツ王国」はスポーツ好きの多さでも分かる。総務省の社会生活基本調査では、1年に1回以上スポーツを生観戦する人が16年の調査で32.9%。都道府県別2位の宮城が26.4%、全国平均が21.5%だから、突出して多い。新型コロナの影響で全体的に激減した21年の調査でも、広島だけは20%超え。広島市民、県民にとって、スポーツは身近な存在だ。
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カープ、サンフレッチェなど人気プロチームとのコラボ、クラブの営業努力もあってドラゴンフライズのファンも増えた。今季の入場者は初めて平均4000人超え。ファイナルの横浜アリーナでは、圧倒的な人気を誇る琉球のゴールドに負けないほどチームカラーの朱色がスタンドを染めた。それが、チームの快進撃を支えた。
カープやサンフレッチェと同じように、ドラゴンフライズも決しビッグクラブではない。人気はあっても地方都市では入場料収入もスポンサー収入も限られる。22-23シーズンの総収入は約14億4000万円。24チーム中11位で、アルバルク東京(約27億円)千葉ジェッツ(約25憶1000万円)などと比べて潤沢とはいえない。
傑出した選手はいなくても、組織力で戦うのが広島らしさだ。全員がチームのために献身的に最後まで走り、強いメンタルで勝利を目指す。日本一を決めたファイナル第3戦、ドラゴンフライズはスイッチディフェンスを駆使して琉球をファイナル史上最少の50得点に抑えた。「チームスピリットの勝利。全員が勝つことを信じて戦っていた」とミリング監督は胸を張って話した。
50年のセ・リーグ創設から資金難で長く「お荷物」だったカープが初めて日本一になったのは30年目の79年、93年のJリーグ発足から参加しながら2部落ちも経験したサンフレッチェ初の年間優勝は20年目の12年だった。ドラゴンフライズは13年の創設から、わずか10年で日本一になった。資金難に苦しみ、Bリーグも2部からのスタートだったが、B1昇格4年目での優勝は、B2経験クラブとして初の栄冠でもあった。
かつてサンフレッチェがカープを目標にしたように、ドラゴンフライズはカープとサンフレッチェを追いかけて広島で3チーム目のプロクラブになった。野球、サッカーに続くバスケットボールの日本一。「スポーツ王国」にまた1つ、新しい歴史が生まれた。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)