「苦しいことのほうが多かった」 37歳の陽岱鋼が口にした巨人への感謝「5年間がなかったら…」
ドラフト指名目指す若手に贈る言葉と、初心を思い出させてくれた同期
陽は決して、順調にレギュラーをつかんだ選手ではない。プロ入りから4年間は、2軍で過ごした時間のほうが長かった。千葉県鎌ケ谷市に本拠地を置く日本ハムの2軍で、泥にまみれた。両打ちへの挑戦や外野へのコンバートなど、様々な経験を経て成長していった。その目に、オイシックスからNPBのドラフト指名を目指す“原石”はどのように映るのだろう。
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「能力を持っている選手はたくさんいる。僕の若い頃みたいに野性的だなと思う選手もいますし、すごいなと思わせてくれる選手もいますよ。でも目指しているところはその上にあるって、みんな知っている。いい暮らしをしたいと思えば努力するしかない」
では、陽が本気で努力し始めたのはどのタイミングだったのか。最大のモチベーションは、2008年オフの結婚だったという。
「結婚して責任感を持ったのが大きかった。妻に良い生活をさせたければ、自分が頑張って、結果を出すしかない。残せれば給料も上がるし、ファンも覚えてくれる。それがプロの世界だから」
オイシックスには、陽に文字通りの初心を思い出させてくれる人物もいた。武田勝投手コーチは年齢こそ8つ上だが、2006年に日本ハム入りした同期だ。「最初は勝さんがいるって、知らなかったんですよ。ある時集合写真を見たら『あれ? これ勝さん?』って。まさかここで会うとはね……」と愉快そうに笑う。人のつながりにも導かれて始まる日本20年目。どんな足跡を残していくのか。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)