「苦しいことのほうが多かった」 37歳の陽岱鋼が口にした巨人への感謝「5年間がなかったら…」
日本でのプレーは20年目「プロに行けるなんて思っていなかった」
どんなことにも、複数の視点や意味がある。規律を重視する巨人にいたからこそ、37歳になる今も現役でプレーできているというのだ。その“効果”は、退団後に自覚した。2022年からの2年間、米国でのプレーの合間に豪州独立リーグにも参加し、文字通り休みがなかった。ところが30代後半を迎えた肉体は、悲鳴を上げる間もなく耐えきった。
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「さすがに、1年間ずっと野球をやっているのは初めてでしたからね。疲れとか、感じる暇もないというか、忘れてしまうんですよ。2月、3月に短いオフがあって、そこで初めて『疲れたな』と」
福岡第一高での3年、日本ハムでの11年、巨人での5年。そして今年と、日本での暮らしは20年になろうとしている。台湾・台東生まれの少年が日本に行こうと決断した時、こんな未来は描いていたのだろうか。「もう(日本に来たのは)20年以上前になりますよね。このチームには、その頃まだ生まれていない選手も多い」と笑いながら陽は続ける。
「まず、プロに行けるなんて思っていなかった。高校、大学に行ってその先に社会人があればいいなと思っていたくらい。高校2年生の頃かな。プロのスカウトが見に来てくれるようになったんですけど、最初はうちのチームのエースを見に来ているのかなと思っていたくらいで……」
愛用のグラブには「感謝の気持ち」という刺繍が入る。想像もつかなかった野球人生を、37歳になった今も続けていこうとする原動力はどこにあるのだろうか。
「野球を愛しているんですよね。自分が好きだからやりたいし、うまくなりたい、今でもそう思っています。あとは家族ですよね。後押ししてくれるのは本当に大きいですし、台湾に残している妻や子どものためにも活躍しないといけない。行かせてくれている以上は活躍しないといけないと思っています」
もし現役を終えるという考えが頭をよぎるとすれば、何がきっかけになるのだろう。不躾な質問にも、即答だった。「全力プレーだけは変えちゃいけないと思っています。もし全力でできないなと思うことがあれば、辞める時でしょうね」。今も抱き続ける信念は、日本ハムの2軍にいたころに身につけたものだ。