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「苦しいことのほうが多かった」 37歳の陽岱鋼が口にした巨人への感謝「5年間がなかったら…」

プロ野球の2軍に今季から参加したオイシックスで、大きな話題となっているのが日本ハムと巨人でプレーした陽岱鋼外野手の加入だ。2016年のオフ、日本ハムからFA宣言した際はチームから「卒業」との言葉をかけられ号泣。その後巨人に移籍し、米独立リーグなどを経て3年ぶりに日本へ戻ってきた。37歳になった今、芽生えた感謝の念があるという。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

自主練習でバットを振る陽。巨人で苦しんだことも糧になっている【写真・羽鳥慶太】
自主練習でバットを振る陽。巨人で苦しんだことも糧になっている【写真・羽鳥慶太】

オイシックス入りの陽岱鋼、日本ハム退団後の日々は「成長する種」

 プロ野球の2軍に今季から参加したオイシックスで、大きな話題となっているのが日本ハムと巨人でプレーした陽岱鋼外野手の加入だ。2016年のオフ、日本ハムからFA宣言した際はチームから「卒業」との言葉をかけられ号泣。その後巨人に移籍し、米独立リーグなどを経て3年ぶりに日本へ戻ってきた。37歳になった今、芽生えた感謝の念があるという。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

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 NPBで通算1164安打を残した陽の全盛期は日本ハム時代だった。遊撃手として入団したものの、守備の不安から外野に回り開花した。2010年には定位置を確保し、盗塁王1回、ゴールデングラブ賞4回。高い身体能力を生かした外野守備にも、一発長打を秘めた打撃にも華があった。

 チームが日本一になった2016年のオフにFA宣言。その会見の席で、人目もはばからず涙を流し、球団幹部からは「卒業おめでとう」と声をかけられた。そして居場所を求めて移籍した巨人での5年間は、思い描いたようなものではなかった。1軍での最多出場は2019年の110試合。2021年にはわずか7試合出場に終わった。経験のなかった一塁も守った。

 ただ陽は、その時期も糧にして今の自分があると感じている。「苦しいことの方が多かったかもしれませんね。2軍生活もめちゃくちゃ長かった。でも、苦しいことは自分が成長する種になるんですよ。逃げるんじゃなくて、受け止めるんです」。時間が経った今だからこそ、口にできる感情だ。

「日本ハムが終わって巨人に行って、自分の中では全く違うスタイルの野球をやっていた。巨人での5年間がなかったら、今もうプレーしていないと思うんですよ。規則正しい練習の中で、5年間やらせていただいた。だから今でも動けるんだと思っています」

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