「走るのも盗塁も好きじゃない」 大怪我で突然“消えた”盗塁王、西武・若林楽人の意外な告白
大怪我でわからなくなった自分の武器「頭が整理できなかった」
44試合で20盗塁とリーグトップを独走する中で、落とし穴が待っていた。5月30日の阪神戦。中堅を守り、マルテの打球を処理しようとしたところで、左膝に激痛が走った。前十字靭帯損傷と診察され、すぐさま手術。翌年に1軍復帰は果たしたものの、今も完全復活へは道半ばだ。痛みはなかなか消えず、昨オフには2度目の手術。その過程では迷いも生じた。
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「周りから『手術してまた走れるようになるね』って言われても、いや自分の中では……と。走りたくないんだよな……とか。一発にかけて走って、選手生活を棒に振ることもあるわけですから。頭が整理できなかった」。ストレスから帯状疱疹ができるなど体に異常もきたした。全てがイヤになったこともある。
野球が苦しくなったのは、この大怪我が初めてではなかった。駒大苫小牧高では3年時に主将を任されるなど、三塁や遊撃を守り活躍。甲子園には行けなかったものの、4年後のプロ入りを意識して駒大に進んだ。2年春から東都大学リーグ1部で試合に出場したが、毎シーズン2割前後の低打率が課題だった。「3年を終わった段階で、プロに行けるとは思っていませんでしたし、野球をやめようと思っていたくらいで……」と振り返る。本気だった。
「大学2年の秋に、大学日本代表の合宿に呼ばれたんです。だけど3年時に肋骨を折り、全く打てなくなりました。その頃は態度も悪かったと思いますよ。もう何やっても楽しくないなあと思っちゃって……。野球やめたら何をしようかなあというところまで考えていました」
再び前に進み出したきっかけは、少年時代からのチームメートに「プロを狙えるチャンスがあるのに、狙わないのはもったいないんじゃない?」と言われたことだった。「みんな、そう思っているのかなと。じゃあちょっとやってやろうかなって」。故郷の北海道に帰り、気づきもあった。「怪我が多いのは、身体能力に体の強さが追いついてないんじゃないかと思ったんです」。