「ドラフト待ちはしません」 復活する日産自動車野球部のこだわり…新監督が一期生に求める資質
社会人で叩き上げられ、力を伸ばすのが日産野球
例えば、広島で活躍した梵英心内野手がそうだった。駒大から入社当初はなかなか出番がなかったという。それが3年目を迎える2005年、伊藤さんは当時の監督に呼ばれ「今年は梵を遊撃で使いたいから、三塁に回ってくれ」と言われた。日本代表でも遊撃を守った身だ。簡単には引き下がれなかった。
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「え? となりますよね。『もし何かやらかしたら、いつでも戻りますから』と言って三塁に回りました」。ただ梵は何もやらかさず、その秋広島の3位指名を受けるまでになった。鍛え上げられた守備と走塁、さらにグラウンドの流れを感じる力は、プロ入り後もすぐに発揮された。日産野球部の確かな育成力を感じたできごとだった。
選手を契約社員で採用する企業チームもある中で、日産野球部の採用条件は正社員。そうなると野球の技術以上に、見なければいけない部分がある。休部後は企業人として歩んできた伊藤さんは、自らの経験も踏まえ「人を大事にする選手、素直な選手ですね。野球はいくらでも教えますから。できないことをできるようにしながら、前に進みたいと思っています」。その過程は、企業人としても大切なことだ。
特に1期生は、形のないところからチームを作っていくことになる。伊藤さんは「人を育てながら、次のメンバーにバトンを渡したい」と願う。そう考えると復活のタイミングは、本当にギリギリだった。休部時に37歳だった伊藤さんは今年52歳になる。野球部という企業文化を社内から絶やさないためには、もう待ったなしだった。
休部前のチームから引き継ぐ、日産魂とでも言える部分は変わらない。伊藤さんが「今度はあんなにひどくはないですよ」と笑いまじりに振り返るのは「何やってんだ」と怒られ、泣きながらノックのボールを追った思い出だ。それも「日産の野球は完璧でないといけないんです。ダメなことは絶対ダメ」という信念あってこそだ。
ただ、指導は時代に合わせたアレンジが必要不可欠。「そうするためにいろいろ言いすぎるんじゃなく、選手自身の気づきが大切になるんです。だから少し時間はかかるかもしれませんね」。性急に全国大会への復活を目指す前に、野球を良く知り、粘り強く戦う「日産らしい」野球の継承を願う。