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選手は散り散り、グラウンドには住宅…すべてが消えた日産野球部、15年ぶり復活助けた“先見の明”

日産新監督の伊藤さんは、37歳から本格的に社業へ取り組んだ【撮影:羽鳥慶太】
日産新監督の伊藤さんは、37歳から本格的に社業へ取り組んだ【撮影:羽鳥慶太】

ツイッター黎明期から繰り返したつぶやき「つながれればいいな」

 ツイッター(現X)上に、「日産自動車野球部(@nissan_baseball)」というアカウントがある。開設は2009年7月。まだスマートフォンは全く普及しておらず、ツイッターの知名度も一般にはほとんどなかった時期だ。伊藤さんは、このアカウントを中心になって動かしてきた。

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 休部前、マーケティング部に所属しインターネットチームにいたのがきっかけだった。まだ、ネットで何ができるか社会が試行錯誤していた時期だ。野球部のサイト開設にも携わったが、休部が発表されるとともに、その更新が止まってしまった。

 そこで助けてくれたのが職場の有志だった。持てる技術を活かして最後のシーズンを伝えるサイトを作り、公開してくれた。さらに「そこで『ツイッター』というものがあるらしいと聞いたんです。もちろん、野球部ではだれも知らなかったと思いますよ。ちょうど日産の情報発信ツールとしての導入を検討している中、試験的に野球部でやってみようとなり、選手全員にアカウントを渡してスタートさせました」。

 選手はバラバラになり、横浜市にあったグラウンドは売却されて住宅が立ち並んだ。日産野球部の存在を伝えるものは次々に見えなくなり、アカウントだけが生き残った。伊藤さんは「野球部が何もなくなってしまうのなら」と、休部後も発信を続けた。「コソッと生きておこうかなと。それくらいの感じですよ」。毎年行っていた野球部主催の野球教室の模様や、他の企業チームやプロで活躍するOBの情報も軽妙なタッチで伝えた。

「日産野球部のメンバーと、応援してくれるみなさんがつながれればいいなという思いは、どこかにありましたよ。もっと活用しないとなと、ずっと思っていました」

 フォロワー1200人ほどのアカウントには、野球部の復活を望む声が寄せられ続けた。選手も施設もないチームが、完全に過去のものにはならなかった。復活への一助となったと言っては言い過ぎだろうか。そして大企業の野球部が、社員やファンとつながろうとする試みは、新たなチームづくりに必ず生かされる。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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