[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

東京マラソンで物議を醸したペースメーカーとは かつてはグレーの存在、報道がタブーだった歴史も

日本で初めて起用が公表されたのは2003年福岡国際マラソン

 国際陸連(現ワールドアスレティックス)が公式に認めたのは2002年。それまで選手と同じだったゼッケンを「別にする」などの条件付きながら公のものとなった。日本で初めて起用が公表されたのは、翌03年12月の福岡国際マラソンだった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 ペースメーカーは大会主催者と契約し、設定されたタイムをキープて走る。報酬を得た上にトレーニングにもなるから、恵まれない環境にいる選手にとっては「おいしい」仕事でもある。役目を終えた後にレースから外れるか否かは契約内容次第。もともと走力はある選手たちだから、そのまま完走して優勝までした例もある。

 ただ、ペースマーカーはあくまでも人間。正確にペースを刻むのは決して簡単ではない。高いレベルの設定タイムなら、なおさらだ。規定の距離を走れず離脱したり、ペースを守れなくなる場合もある。そういうことも含めて「レースは生もの」(高岡SD)。だからこそ、マラソンは難しいのだろう。

 ペースメーカーに頼りすぎてはいけないことは、選手たちも分かっているはず。確かに、その良し悪しが記録に影響することはあるだろうが、悪かったからといって、責任を転嫁することもない。サブ4の友人は「(日本人トップの)西山がかわいそうだ」と怒り心頭だが、西山本人も力不足を口にしていた。

 古代ギリシャの「マラトンの戦い」を起源とするマラソン。正式にその距離が42.195キロになったのは、ちょうど100年前だ。その長い歴史に比べ、ペースメーカーが公に認められてからは20年と少ししかたっていない。

 自分ひとりの力で走り切るのがマラソンの魅力だし、五輪や世界選手権ではペースメーカー自体がない。「もう少し正確に走れば」「運営側が厳しくタイムを管理すれば」など意見はあるだろうし、今後に生かすべき点はあるのだろう。

 ただ、もともと天候やコース状況など運不運がつきまとうのがマラソン。「残念な結果」も受け入れるしかないと思うのだが。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

1 2

荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集