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東京マラソンで物議を醸したペースメーカーとは かつてはグレーの存在、報道がタブーだった歴史も

「ペースメーカーがひどすぎるよ」。マラソンファンの友人が、怒りにまかせてメールを送ってきた。3日の東京マラソン、高速コースで気候条件にも恵まれ、記録更新が期待された。しかし、男子はパリ五輪代表選考のための設定記録に及ばず、女子の日本記録も出なかった。クローズアップされたのが「不安定」だったペースメーカーの存在。給水所で後続ランナーの進路を妨害した動画まで拡散された。

東京マラソンで「不安定」だったペースメーカー問題【写真:Getty Images】
東京マラソンで「不安定」だったペースメーカー問題【写真:Getty Images】

話題になったペースメーカーをスポーツライター・荻島弘一氏が解説

「ペースメーカーがひどすぎるよ」。マラソンファンの友人が、怒りにまかせてメールを送ってきた。3日の東京マラソン、高速コースで気候条件にも恵まれ、記録更新が期待された。しかし、男子はパリ五輪代表選考のための設定記録に及ばず、女子の日本記録も出なかった。クローズアップされたのが「不安定」だったペースメーカーの存在。給水所で後続ランナーの進路を妨害した動画まで拡散された。

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 確かにペースメーカーの走りは不安定だった。レース後、選手たちからもペースメークに関する声は聞こえた。ただ、日本陸連の高岡寿成シニアディレクターは「レースは生もの。思っている通りに進むことはない。その中でどう対応するかが必要」と説明。確かに、ペースメーカーは機械ではないのだ。

 マラソンにペースメーカーが登場したのは1980年代。序盤から正確なラップを刻んで集団を引っ張り、時には風よけとして選手の体力温存を助けた。序盤の駆け引きから解放されたランナーは、心身ともに消耗を最小限に抑えてラスト勝負へ集中できるようになるなど、記録更新を促した。

 マラソンの商業化が進む中、各レースは価値を高めるために高速化を目指し、ペースメーカーを採用した。特に海外の賞金レースが起用に積極的だった。選手個人が記録を出すために、所属チームや契約スポンサーが用意することもあった。

 もっとも、当時のペースメーカーは「グレー」だった。「ランナーを助けることはルール違反」という意見もあって、公然の事実として存在はしていたが、公になることはなかった。新聞やテレビでも「ペースメーカー」の語句を扱うことはタブーとされていた。    
  
 あるレースでトップを快走していた選手が突然棄権。ところが、先輩記者からは「ラビットなんか、ほっておけ」と言われた。ラビットとはドッグレースを先導するウサギの模型のこと。ペースメーカーを表す「蔑称」でもあった。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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